五色堂〜花火〜
普通、花火大会とかお祭りとか、そういう行事って友人とか家族とか、恋人とかと行くものだ。まあ、最悪一人で行くってところだろう。
私だって、今まではそうだった。小さい頃は家族と行ったし、大きくなってからは友人と行くことが多くなった。恋人……とは残念ながら、ない。そもそも、彼氏ができたことが一度もなかった。
今年は水瀬川で行われる花火大会に、一人で行く……予定だった。
それなのに、ああ、それなのに。私は何をしているんだろう。
何故、私は友人でも家族でも恋人でもない……妖怪……こほん。もとい『五色堂』の変人店主である花京院鳳月と一緒に花火大会に行くことになってしまったのだろうか。
……まあ、ぶっちゃけ、自業自得なんだけど。鳳月さんは、何にも悪くないんだけど。悪いのは自分なんだけど、でも何で、ああ、何で私あんなことしたんだろう。
話は、数時間前に遡る。
私は、悲しいかな、自分ひとりで浴衣が着られない人間だった。帯の結び方とか、いまいちよく分からなかった。それじゃあ私服で行けばいいじゃないかって?まあ、私も最初はそう思ったのだけれど。
先日、私は鳳月さんから浴衣をタダで貰った。藍染めのそれは、着ないのは絶対もったいない!って思っちゃうくらい、それはそれは素晴らしいものだった。ちょうどいいタイミングで、私が今住んでいる三つ葉市で、花火大会がある。これは、着ていかなきゃ損だ。
だけど、私は浴衣を一人では着られない、情けないことに。結局私は、隣町にある実家に帰って、母に浴衣を着せてもらうことにした。何だか、恥ずかしい。ちゃんと一人で浴衣を着るにはどうすればいいか聞いていればよかった。
「何なら私が着せて差し上げましょうか?」という、鳳月さんのいやらしい声を思い出して、軽い眩暈をおこしつつ、隣町にある、小さくて古臭い実家を目指す。
暑さというモンスターによって大ダメージを受け、へろへろになった私を、母がにこにこ笑いながら迎えた。私は、居間にあるちゃぶ台の前に、水分を失って萎れた葉っぱのようにへなへなと座り込んだ。母が、冷たい麦茶の入ったコップを黙って置いてくれた。私は、それはすごい勢いでそれを飲み干した。ああ、生き返る。やっぱり、暑い日に飲む麦茶は最高よね。
「そんな、一気に飲むこともないでしょうよ。麦茶は逃げやしないよ」
「だって、喉が渇いたんだもん。喉がカラカラの時に冷たい麦茶を出されたら、一気に飲まずにはいられないじゃない」
私がそう反論すると、母が大きな声で笑った。
「まあ、それはそうだけどね。それで、彼氏から貰ったっていう浴衣はその紙袋に入っているの?」
母が、私がさっきまで持っていた、大きな紙袋を指差す。確かに、浴衣は紙袋に入っている。入っているけど……。
「彼氏からじゃない! あんな人が彼氏なんて、冗談じゃない!」
今の私は、きっとゆでだこにそっくりに違いない。全く、誰があんな人と。
頬がやや痩せこけ、幽霊もぞっとする位青白い肌、曇り気味の眼鏡、まるで生気の感じられない瞳、子供が見たら泣いてしまうだろう、気味の悪い笑み。
その姿を思い浮かべただけでぞっとする……あれ、身体が熱い。やだやだ、違う違う、鳳月さんのことを考えたから熱くなったんじゃない、ただ母さんに変なこと言われて興奮しているから、熱いだけよ。
母さんは、そんな私の姿を見て、それはそれは愉快そうに笑っている。おのれ、鳳月さんの笑いと同じ位腹が立つ。
「彼氏でもなんでもない人間が、普通女性に浴衣をほいっとあげるかねぇ? しかもタダで」
「あの人は変人だから、普通の人が考えないようなことを平気でするの!」
私は勢いよく立ち上がって、台所にある冷蔵庫を開けて、麦茶の入ったボトルを取り出す。そしてコップに麦茶を注いで、またちゃぶ台の前に座る。
「怪しいねぇ。嫌よ嫌よも好きのうちっていうし。あんた、自分では気づいていないけれど、本当はその人にベタ惚れしているんじゃないかい?」
私は、危うく麦茶をふきそうになった。
「馬鹿なこと言わないでよ! あ、あんな……妖怪人間! 誰が、誰が好きになんか!」
「妖怪人間なんて、失礼なこと言って。しかし、そうむきになって反論する辺り、ますます怪しいね。あんた、最近流行のツンデレって奴なんじゃないかい」
ツンデレ!何か最近ちょくちょく耳にする言葉のような気がする……意味はよくわからないけれど。それにしても、そんな変な言葉、一体どこで覚えてきたのかしら。
「ああ、もううるさい! 兎に角、私は鳳月さんのことなんて好きでもなんでもないんだから!」
「へえ、鳳月っていうのかい、あんたに浴衣をくれた王子様の名前は」
しまった。興奮のあまり、余計な情報をあげてしまった。田村瑠璃、一生の不覚。ああ、もう兎に角ごまかさなくっちゃ。このままじゃ、延々とこのことでからかわれ続けちゃう。
「もう、そんなことはどうでもいいから、さっさと浴衣を着せてちょうだい!」
「はいはい、一刻も早く、愛する人から貰ったものを身につけたいんだね」
「だから、そんなんじゃないってば!」
「ったく、本当にあんたをからかうのは楽しいよ。そうやって過剰に反応するから、からかわれるんだよ。あんたときたら、昔から弄られの対象だったからね」
母さんはけらけら笑いつつ、紙袋を持って「私の部屋で着替えよう」と言う。私は、顔真っ赤、体中の血管をびきびきさせながら、母さんについていった。
そして、母さんに弄られて弄られて、弄られまくりながら、浴衣を着せてもらうのだった。
「ふうん、なかなか似合うじゃない」
姿見の前に立つ私の姿を見ながら、母さんがそう呟いた。私も、我ながら結構似合っているじゃん、などと思った。落ち着いた藍色を見ていると、さっきまで暴れまくりだった自分の心及び脳内が、すっと鎮まっていった。さっきまで暑くて仕方なかったのに、急に涼しくなったような気もした。
藍色って、素敵な色ね。着るだけで、こんなに気分が落ち着くんだ。
「ふふ、素敵。最高ね」
「それにしても立派な浴衣だよねぇ……きっと滅茶苦茶高いんでしょうね。ちゃんと、愛しの彼氏にはお礼を言うんだよ。ああ、それとちゃんとその浴衣姿、見せにいってやりな」
「だから彼氏じゃないってば! 見せにも行きません。どうせ、変なこと言ってからかわれるのがオチなんだから」
「ああ、そうだ。美味しい水羊羹があるから、それをお礼にあげてきなさい。適当な袋の中に入れてやるから」
母は、全く話を聞いていなかった。なんか、勝手にお礼をしに行く方向に持っていっている。そさくさと部屋を出た母さん。数分後、丸いプラスチック容器に入った水羊羹を、白いビニール袋の中に3つほどいれて持ってきた。
「はい。ちゃんとあげなさいよ」
「な、なんで」
「人から物を貰ったら、きちんとお礼をするのが筋ってものでしょう。さあさあ、ぼさっとしていないで、さっさと行きなさい」
そういって、母さんは私のお尻をぽんぽん、と叩いた。私は、左手に巾着、右手にビニール袋を持って、半ば追い出されるように家を出て行った。
外は、相変わらず暑い。もう5時近くだというのに、空は真っ青、白い雲がゆらゆら揺れていて、太陽は「いやっほう、俺の時代だぜ」とばかりに輝いている。もう一刻も早くお引取り願いたいものだけど、そうもいかない。太陽は、もうしばらくの間、私達を苛めるに違いなかった。
私は、バスに乗って隣街である三つ葉市を目指す。このバスに乗れば、水瀬川にはあっという間に着く。途中、五色堂近くにも止まるけれど、私はそこで降りる気はなかった。
お礼は、まあまた後日言えばいい。水羊羹は、私が後で全部食べてしまえばいい。
(どうせ、鳳月さんのことだ。浴衣姿なんて見せようものなら「あー、瑠璃さんその浴衣着てくださったんですね、いやいやよく似合いますよ。馬子にも衣装って奴ですねぇ、なんかもう思わず脱がせたくなっちゃいますね」とかなんとか、変態発言しながら、ひーひっひとかいって笑うに違いないわ)
何回も会っていると、大体あの人が言いそうなことが想像できてくる。……まあ、たまに予想外のこと言ってくることもあるけれど。予想していても、あからさまに反応しちゃうけれど。
ああ、このすぐムキになったり、赤くなっちゃう性格、どうにかしたいなあ。
「次は、羽鳥坂前、羽鳥坂前〜」
バスのアナウンスが聞こえる。五色堂近くにあるバス停だ。
ピンポーン
誰かが「ここで降ります」のボタンを押したのか、チャイム音が鳴り響く。運転手の「次、止まります」という声。
私は、窓の方をちらっと見た。……そして、凍りついた。
ボタンを押した乗客というのが、自分だったからだ。赤く点滅したライト、その真下にある白いボタン。そしてそのボタンの上にある自分の人差し指。
(やだ、何で私ボタン押しているのよっ)
心の中でパニックを起こしている間に、バスが羽鳥坂前のバス停に止まった。念のため、辺りを見回してみるが、降りる様子を見せている人は一人もいない。
このまま無視する?いや、それは周りの乗客にも迷惑だ。
結局私はバスを降りてしまった。
人を馬鹿にしたように輝く太陽に身を焼かれながら、私はずっと乗るはずだったバスを見送った。
私という人間は、なんて馬鹿なのだろう。はあ。……次のバスを待つ?
いや、折角降りたのだから……仕方ない。五色堂に顔を見せるとしよう。ついでに、鳳月さんにお礼を言っておこう。
私は、のろのろと歩き出して、五色堂を目指した。
五色堂は、バス停から2分ほど歩いた先にある。外はまだ明るいのに、店内は妙に暗い。一瞬、閉まっているのかなと思ってしまうくらいしんとしている。
私は、はぁ、とため息なんだか深呼吸なんだか、よく分からないことをして、戸をゆっくり開けた。
鳳月さんは、いつもどおりカウンターの後ろに座って本を読んでいた。集中しているのか、私が入ってきたことにも気づいていないようだった。カウンターの上に積み上げられている本は随分古そうなもので、見るからに難しそうなものだった。背中を丸めて、頬杖をつきながら本を読む姿は、まあなかなかさまになっている。背がもっと真っ直ぐ伸びていて、もう少し顔に色身があって、もう少し肉がついていれば、それなりに格好いいかもしれないのに。
まあ、喩えかっこよくなっても、私には関係のないことなのだけれど。
それにしても、こんなに近づいているのに全然気づかないなんて。私が泥棒だったらどうするのよ、全く。……ま、どんな泥棒も鳳月さんの顔を見たら、お化けだと思って逃げ出すでしょうけれど。……なんて、ちょっと言いすぎかしら。
「鳳月さん、こんばんは」
私がそう言うと、鳳月さんがゆっくりと顔を上げた。相変わらず、死人のような顔をしている。
「ああ、瑠璃さんでしたか、こんばんは」
「こんばんは」
「……その浴衣、この前私があげたものですよね。着てくださったんですか」
その言葉と浮かべた笑みは、いつもと違って妙に優しくて穏やかなものだった。
「は、はい。折角貰ったのに、着ないのはもったいないなって思いまして。ふふん、どうですか。馬子にも衣装。なかなか似合っているでしょう?どうですか、参りましたか? えっへん」
私はくるっと一回転してみせて、最後に腰に手をやり、胸を思いっきり張っていばってみせた。全く、我ながら馬鹿だ。でも、兎に角いつも私をいじめてばかりの鳳月さんをぎゃふんと言わせてやりたかったのだ。
しかし、そういうことはいつも上手くいかないようにできているのが、世の中というもの。
鳳月さんが、そんな私を見てにこりと笑った。いつもの意地悪い笑みでも、気味の悪い笑みでもなかった。
「はい、とても似合ってます。お綺麗ですよ……瑠璃さんに、渡してよかったです」
ちょっと、満面の笑みでなんてことを言いやがりますか、というか、そんな人間っぽい笑い方もするんですか、初めて知りましたよ、ちょっと何で私顔真っ赤になっているのよ、ふざけないでよ、冗談じゃないっての。いひひひひと笑ってこそ鳳月さんじゃないの!?
そんな風にあたふたしている私を、鳳月さんは面白そうに眺めていた。
「瑠璃さんは相変わらずですねぇ。……それで、この後花火大会に行かれるのですか」
「え、ああ、はい」
「友人と?」
「いえ、一人で……。鳳月さんは、やっぱり行かないんですか」
そういうと、鳳月さんが困ったように笑った。
「行きませんよ。私は、人ごみとか嫌いですから。……特に人の視線とか、好きじゃないんです。何か見られるのって気持ちが悪くて……」
「ふうん、そんなものですか。……ああ、そうだ。私のお母さんが、浴衣のお礼にもっていきなさいって……水羊羹を……」
すっかり忘れていた。暑さで駄目になっていないかしら。私は、ビニール袋から水羊羹を取り出した。
「ああ、その水羊羹、美味しいんですよね。有難うございます。……早速、今日の夕飯に食べることにしましょう」
「デザートに、ですよね」
「さあ、どっちでしょうねえ」
また、いつも通りの意地悪い笑みを浮かべる。全く、本当にこの人とんでもない食生活をおくっているのね。水羊羹3つだけの夕飯なんて、信じられない。
鳳月さんは私から水羊羹を受け取ると、一旦奥へと消えていく。きっと、冷蔵庫に入れにいったのだろう。しばらくすると、また戻ってきた。
「もう大分、水瀬川辺りには人が集まっているんでしょうね。……楽しんできてくださいね、瑠璃さん。私はTVで別の花火大会を楽しむことにします」
「本当に、行かないんですか」
「ええ、行きません」
余程、人と関わることが嫌いなようだ。
その時、私に強力な悪魔がのり移った。
普段、私のことをいじめていじめていじめまくっている鳳月さんを、今回は私がいじめてやろう。そして、鳳月さんが困っている顔を見て、思いっきり楽しんでやろう。たまには、こっちの方が優位に立ってやりたい。
何でそんな馬鹿なことを考えてしまったのだろう。
私は、鳳月さんの左手を唐突に握り締めた。細くて、びっくりするくらい冷たい手だった。
鳳月さんがぎょっとする。そりゃ、誰だっていきなり手を握られたらぎょっとするだろう。
「行きましょう、お祭り」
「は、はあ?」
「やっぱりあれですよ、花火っていうのは間近で見るからこそ素晴らしいものですよ。TVじゃ、あの感動を伝えることはできないんですよ。さあさあ、行きましょう」
「ちょ、ちょっと待ってください、私は行きたくなど……」
そういう鳳月さんを無理矢理引っ張っていく。ふふ、いつもは人をからかっている鳳月さんがおろおろしている。いい気味だわ、ああ面白い。
私は戸を開けて、鳳月さんを外へ連れ出した。
「何するんですか、あのですね、私は本当に行きたくないんですよ。瑠璃さんだって、私と一緒じゃ嫌でしょう」
鳳月さんは、今まで見せたことがない表情を浮かべた。心底困っている様子だった。いつもの余裕はどこに行ったのやら、といった感じだ。
「一人は一人で退屈です。行きましょうよ、楽しいですよ。人ごみが嫌いだというなら、少し離れた場所から花火を見ましょう。それならいいでしょう?」
このときの私は、そう、ドーパミンとやらを異常な勢いで異様な量をだしていたのだ。花火大会から帰った後、色々なことを思い出して一人、恥ずかしさのあまり悶えまくっていたのは言うまでもない。
ドーパミンて、怖いね。祭りって、怖いね。まあ、それは置いといて。
鳳月さんはうんうん唸っていた。女の人の手を振り払って逃げる位の力はあるだろうに。何を真面目に考えているのやら。
しかし、その表情も今まで見たことのないものだったので、そこそこ楽しめた。
ふふん、私もやればできるじゃない。弄られ役なんていう、汚名は返上しちゃうわ。
鳳月さんは、やがてそれはそれは深くて大きなため息をついた。「しょうがないなあ」という言葉が聞こえてくるかのようなものだった。
「分かりました。瑠璃さんが、そこまでこの私とデートをしたいというのなら、仕方ないですね」
「違う! 別にデートとか、そういうのじゃありません!」
「くっくっく。照れなくてもいいんですよ。いや、本当に可愛いなぁ、瑠璃さんは」
「だから、違います! それに可愛くもないです!」
体中が熱くなるのを感じた。ああ、もう、これじゃ結局いつもと同じじゃない。うう、弄られ役の汚名返上ならず、ね。
鳳月さんは相変わらず不気味な声で笑っている。ああ、むかつく。私は、鳳月さんの手を握り締める力を思いっきり強めた。「ふぎゃ」というなんとも間抜けな叫び声が聞こえた。
「何もそんなに……ひひ、握らなくても……。そんなに私と手を繋ぎたいんですか?」
「違います!」
私は、即答して乱暴に手を離した。鳳月さんは、いつもの鳳月さんに戻っていて、いつも通りの気味の悪い笑みを浮かべていた。
……と、こんな流れだ。
こうして私は、友人でも家族でも恋人でもない、鳳月さんと花火大会へ行くことになったのだ。
私の横を歩く鳳月さんの顔は、妙に沈んでいた。余程、人の多い場所に行くのが嫌らしい。
いつも丸まっている背が、ますます丸くなっているし、元々悪い顔色がさらに悪くなっている。……何だか、悪いことしちゃったかしら。今更、私は後悔した。
「別に、嫌ならいいんですよ」
「自分から言ったくせに、何を今更。……こうなったら、とことん苛め抜いてやる」
それはそれはむすっとした感じでおっしゃりやがる。ですます調じゃない鳳月さんなんて、珍しい。何かものすごく冷たいし。
あるいは、こちらが本当の鳳月さんなのかもしれない。そんなことを、少し思った。
鳳月さんはそう言ったきり、何にも喋らなくなって、しんとしてしまった。黄泉へ向かって歩き続ける亡霊のようであった。
何だか文句らしいことをぶつぶつつぶやいていたが、気にしない。気にしてやるものか。
ああ、にしてもうるさいなあ。もう、嫌ならこなければいいのに。いや、無理矢理連れてきたのは私だけどね……。
鳳月さんが、ぶつぶつではなく、私に向かってはっきりと話しかけてきたのは、それから5分後位のことだった。
「……瑠璃さんは、花火の色が何によってでているものか、知っていますか」
何を突然。私は何を言われたのか一瞬分からなかった。鳳月さんの言葉をしっかり飲み込むまで、時間があった。
花火の色、か。確かこの前TVで見たような気がする。だけど、忘れちゃった。色、ね……まあ、まさか絵の具を火薬に混ぜてってことはないだろう。そんなの子供の発想だ。
「この前TVで見たことありますけど、もう忘れちゃいました」
「なるほど。てっきり『絵の具を火薬に混ぜているとか?』とかなんとか言うと思いましたよ」
「ぅ……」
「もしかして、図星でした?」
「そんなことあるわけないよな、あははと思っていただけです」
これは事実だ。だけど、今更言ってもただの言い訳にしか聞こえないかもしれない。鳳月さんは、くくく、と相変わらず不気味な笑みを浮かべている。
「火薬に絵の具を混ぜても、色は出ないでしょうねぇ。まあ、それはともかく。……瑠璃さん、理科の授業で、バーナーの火の中に銅などの金属を入れた実験などやったことはありますか?」
「あ、ああ……あります」
中学の時か高校の時かは忘れたけれど、確かにそういった実験をした覚えがあった。
「金属をバーナーの火の中に入れると、どうなりましたか」
「えっと、確か、色が……あ」
そういうことか。ああそうだ、確かにTVでそう言っていた気がする。
鳳月さんが、満足げに微笑んだ。
「色が変わりますよね。赤、黄色、緑、どういった色になるかは入れるものによって変わります。炎色反応、というものです。まあ、どういった理屈で色が変わるかというのはこの際置いておきましょう。電子がどうとかなんて訳の分からない話、楽しい祭りの日に聞きたくなんてないでしょう?」
私は、ものすごい勢いでうなずいた。元々理科とか数学とか、そういう理数系の授業は大嫌いだった。これらのテストの点数はほぼ決まって平均以下だった。鳳月さんがものすごく分かりやすく解説したとしても、私はその1割も理解できないでしょうね。
私としては、頭を抱えてうんうんうなる瑠璃さんをみたいのですが、などと余計なことを言いつつも鳳月さんは話を続けた。
「花火の色は、ようはこの炎色反応というものを利用して出しているわけです。科学の塊ですねぇ」
「そういえば、花火って日本人が作ったんですか? 日本といえば花火、花火といえば日本ってイメージなんですけど」
鳳月さんが、首を横に振った。
「花火の祖先を作ったのは、中国ですね。紀元前3世紀に硝石という火薬の原料が発見されました。これらを利用して、爆竹などが作られたようですね。それでもって6〜7世紀頃、硝石に木炭、硫黄を混ぜた『黒色火薬』というものを発明したようです。この火薬は、花火を作る上で必要になるものです」
硝石、硫黄……駄目だ、こういうの聞いただけで頭がくらくらする。我ながら情けない。
鳳月さんはそんな私の様子には全く気づいていないようで、淡々と話を続ける。
「この火薬は、当初は狼煙に使われていたようです。まあ、私達が見ている花火とは全く違うものではありますが、これが一応花火の先祖ということになりますね。まだ、この時点では花火というか火薬というものは、芸術のためではなく、敵を威嚇したり混乱させたりするために使われたのがほとんどだったようです」
「そこから、どう今の花火になっていったんですか」
「近代的な花火の歴史は、イタリアにあるフィレンツェで始まったとされています。中国で開発された火薬に関する知識は、商人を通じてイスラムへ、更にそこからヨーロッパへと伝わったそうです。これが大体13世紀の頃だったそうで。14世紀頃には、火薬を用いた攻撃法などが開発されたようです。その一方、観賞用である花火も作られるようになったようです。フィレンツェで行われた聖ヨハネ祭での見世物として、火を吹く人形のようなものが披露されたとか。まあ、これが近代的花火の始まりってところでしょうかね? その後、ヨーロッパ全土に花火は広がり、17世紀には世界最初の花火研究所がイギリスに設立されました」
「ふうん。それじゃあ、今の花火の原型を作っていったのはヨーロッパだったんですね。それじゃあ、日本で花火が作られるようになったのはいつ頃なんですか」
「日本に火薬が伝来したのは、1543年。鉄砲と共にポルトガル人によって伝えられました。とはいえ、伝わってきた当初は武器に使われていたようですね。日本で花火が作られるようになったのは、江戸時代からのようです。……1613年に、イギリス国王の使者であるジョン・セーリスが、駿府城にて徳川家康に花火を見せたという記録が残っています。更にその前に、伊達政宗も花火を鑑賞したとされる記録もあるようです。まあ、今のような打ち上げ花火ではなく、筒から火の粉が噴出すようなものだったそうですけどね」
私は、ふうん、とかそれにしてもそんなことよく鳳月さん覚えているなあ、とか思いながら話を聞いていた。日本の花火の歴史って、長いようで短いのね。ヨーロッパのほうがよっぽど長いんだ、ふうん。
「江戸時代になってからは、戦もなくなり、まあ一応は平和な時代となりました。そうすると、今まで武器として用いられるだけだった火薬を、観賞用の花火に用いるようになりました。最初は将軍や諸大名の間に広がっていき、やがて庶民にも広がり、花火師や花火売りが増え、花火は大規模なものへと成長を遂げていきました。それはそれはすごい人気だったようで。……しかしですねぇ、その一方で花火が原因の火災も非常に多くなったようで。町中で花火をあげることを禁止する花火禁止令がたびたびだされるようになったそうです」
「一箇所で火事が起きると、どんどん他の家にまで火がついて酷いことになっちゃっていたらしいですもんね」
「ええ。この花火禁止令、6回にもわたって出されたようです。それほど花火が原因の火事が多かったんでしょうねぇ……」
「ふうん。で、その後も花火技術は発展していって、今のような素晴らしい花火が出来上がったってところですか」
「まあ、そんなところです。あまり花火の歴史をごちゃごちゃ言われても楽しくないでしょう。ああ、大分人が多くなってきましたね」
水瀬川に近づいていくごとに、段々と人が多くなってきている。浴衣を着ている人着ていない人、恋人を手を組んでいちゃついている人、友人らと共に楽しそうに談笑している人、母親らしき人に手を繋がれてよちよち歩いている人。そんな、たくさんの人達が目の前を、あるいは私達の後ろを歩いていた。
鳳月さんの表情は、それはそれは暗いものだった。花火のことについて話している時は気持ち楽しそうだったけれど、人がいるということを意識した途端にテンションが下がってしまったらしい。
「そんなに嫌なんですか、人ごみが。私もそんなに好きではないですけど」
「ええ、大嫌いです。気持ちが悪いじゃないですか、人の目って。おまけにナイフのように鋭くて。あれで見つめられると、身体がずたずたに引き裂かれるような感じになります。……本当に嫌ですねぇ。瑠璃さんがどうしても私とデートしたいというから、仕方なくついてきましたが」
「だから、デートじゃないって言っているじゃないですか!」
「照れ屋さんですねぇ」
「照れてません」
「顔が、真っ赤ですよ。林檎飴のように。林檎飴美味しいですよね。くく、林檎飴のように真っ赤な瑠璃さんも美味しくいただくとしましょうか?」
そういってにやにや笑い出す。下ネタか。全く妖怪人間のくせに、なんて破廉恥な。私の顔は、今きっとものすごく赤いに違いない。林檎飴よりも赤いかもしれない。
私は、林檎飴(大)でも買って、鳳月さんの口に思いっきり突っ込んでやろうかとかなんとか思いながら、歩き続ける。花火が揚がるまでまだ時間はある。そろそろ屋台も見えることだろう。適当に何か買って食べていよう、と思った。
鳳月さんは、大きな足音をたてながら歩く私の後姿を、それはそれは楽しそうに見ていた。ちらっと振り返ると、鳳月さんの妖怪スマイルが視界に入った。だけど、周りに人がいるからか、その笑みにはいつものキレ(?)がない。
私はしばらく鳳月さんのほうをちらちら見ながら歩いていたけれど、しばらくすると、もうなんだかどうでもよくなって振り返るのをやめた。
そして、数分後には鳳月さんのことをすっかり忘れ、屋台巡りに夢中になるのだった。
屋台が並ぶ辺りには、流石というか何というか、かなりの人がいた。目当ての店に行くのも一苦労だ。
しかし、祭りというのは改めてみてみると、なんて色鮮やかなのだろうなどと思う。
皆が着ている浴衣は青や藍色が多いけど、どれもこれも微妙に色が違う。帯の色だって、皆違う。勿論、模様だって違うから、見ているだけでも楽しい。
スーパーボールすくいの水槽の中には、青・ピンク・黄緑・紫と色々な色のスーパーボールが溢れている。金魚すくいの金魚は、鮮やかな赤や黒色。ヨーヨーだって沢山の色があって、水玉やラインなどの色々な模様が描かれている。
飴細工も、なかなか見ていると楽しい。動物やアニメのキャラクターが飴で作られている。透き通った黄色や水色がとても涼しげだ。林檎飴の赤も、綺麗だ。キラキラしていて、まるで宝石のようだ。ぶどう飴は濃い紫。少し毒々しい色だけど、それはそれでいい。カキ氷も素敵。真っ白な山の上にかかるのは、赤や黄色や青、抹茶色。見ているだけで涼しくなるわよね。
屋台の看板だって、それぞれ違う色だ。地の色は同じでも、そこに書かれている文字の色は違う。
頭上につるされた提灯は、熟れた柿の色の明かりを灯している。
青、赤、黄色、藍、紫、黒、白……数え切れないくらいの色が、ここにはある。あんまりありすぎて、なんだか騒がしい感じ。でもそれがいいのよね。折角のお祭りですもの。
(なんだか、ちょっと感動)
私は、えらくご機嫌だった。林檎飴を舐めながら、私は辺りをきょろきょろ見回していた。
ピンポンパンポーン。スピーカーからチャイム音が聞こえた。
『お呼び出し致します』
迷子のお知らせじゃなくって誰かのお呼び出し?祭りの運営スタッフの呼び出しかしら。
まあ、私には関係ないことよね、と林檎飴を舐め続ける。
『三つ葉市にお住まいの、田村瑠璃様、田村瑠璃様』
な、何で私が呼ばれているの!?私は思わず、スピーカーを見た。何だってこのスピーカーはこの私の名前を連呼しやがるのか、と。
『恋人のK.H様がお呼びしております。至急水瀬川花火大会運営本部までお越しください』
「恋人!? 誰よそれ、私には恋人なんていないわよ!」
思わず大声をあげてしまった。はっとして口をつぐんだけれど、もう遅い。私の周りにいた人たちが、私に視線を向けじっと見つめていた。
大体何でイニシャルなのよ、普通名前出すでしょう、名前。誰よ、こんなことしたK.Hってやつは……あ。
私は、ようやく鳳月さんの存在を思い出した。なるほど、花京院鳳月……K.Hだ。
にしても、恋人って何よ恋人って。嫌よ、だってここで運営本部までいってみなせいよ、スタッフ達に「ああ、あれが彼女の田村瑠璃さんか」とかいう目で見られるに決まっているじゃないの。
『繰り返し、お呼びいたします。田村瑠璃様、田村瑠璃様、恋人の……』
「ええい、繰り返さんでいいわ!」
大声で叫んでしまった後になってから、気づく。周りにいた人達が、一斉に私に視線を向けていた。呼び出しに反応した。イコール、今呼び出されている、K.Hの恋人。
「呼び出しなんて、熱いわね」「どんな彼氏なのかしら」「やだ、恥ずかしい」などの声が聞こえてくる。
楽しい祭りは、もう終わりだ。私は、顔を手で覆いながら、全速力で本部まで向かった。
『水瀬川花火大会運営本部』は、水瀬川の上にかかる風花橋(かざはなばし)近くの土手に設置されていた。学校の運動会などでよく使われるテントが張られている。そのテントの奥に、死人のような顔の鳳月さんが座っていた。お茶を飲みながら、随分とくつろいでいらっしゃりやがった。
全速力で走ってやってきた私の姿を見ると、鳳月さんの顔がぱぁっと明るくなった。
「あ、瑠璃さん、来てくださったんですね」
私はテントの奥まで行くと、へらへら笑っている鳳月さんの頭を強かに殴った。
「いたたた……何をするんですか」
「恋人ってどういうことですか、私がいつ貴方の恋人になったんですか、馬鹿言わないで下さい、もう、死ぬほど恥ずかしい思いをさせられたんですよ、私!」
「嫌だなぁ、照れ屋ですねえ、瑠璃さんは。恥ずかしがらなくてもいいんですよ、さあさあ、デートの続きと参りましょう」
腹が立つほど爽やかな笑顔だった。幽霊男の分際で、よくもまあここまで爽やかな笑顔を浮かべることができるものだ。
「デートじゃありません! そんなことばっかり言っていると、一番人が集まる場所に連れて行きますよ、いいんですか、人ごみの中に入っても! じろじろ見られますよ、花火が上がり始めてからはともかく、何百もの目に囲まれて過ごさなければいけないんですよ!」
そう言うと、鳳月さんは酷く困ったような表情を浮かべた。相当嫌なようであった。
「それは困りましたねぇ……」
「分かったら、兎に角行きますよ!」
好奇の視線が、私と鳳月さんに集まっている。早くここから逃げたい。私は、鳳月さんの腕を乱暴に掴むと、思いっきり引っ張り上げ、ひきずるように連れて行った。
くすくすと聞こえる笑い声。ああ、もう最悪。これじゃあ一人で行く方がよっぽどましよ。
私は、花火がそこそこ見えて、かつ人があまり多くない場所まで行くと、その動きをとめた。鳳月さんが、深いため息をつく。
「本当に、瑠璃さんは乱暴ですねぇ……まあ、照れ隠しなんでしょうけどね、ひひっ」
「照れてません! 照れてませんから、隠すものもありません! さ、ここなら少しはましでしょう」
「ええ、まあ……少しは」
水瀬川周辺に比べればぐんと人は少ないのに、それでもなお鳳月さんの顔はどんよりと曇っていた。全く、そんなに人が(というか人の目が)嫌いだっていうのに、なんだって店なんて開いているのかしら。金持ちの家の息子らしいんだから、別に仕事しなくても生きていけるでしょうに。いや、流石にそれは厳しいのかしら。
「それじゃあ、少し気が紛れるようなお話でもしましょう」
「ん? お話ですか。そうですねえ、卑猥な話といやらしい話と淫乱な話、どれがいいですか」
「全部エロ関係じゃないですか! なんでそういう話に!」
また大声で叫ぶ。「エロ」という言葉を大声で言ってしまった。ああ、何か妙な視線が集まっている気がする。そのせいか、鳳月さんの表情がまた曇っていく。
「ええい、そういう話じゃなくって! そうだ、花火の色が炎色反応っていうのを利用してだしているっていうのはわかりました。けれど、それだけじゃ物足りません。もっと他にも話してください。」
「そんなの聞いて楽しいですか?」
「卑猥な話よりはずっとましです」
「はあ、そうですか。まあ私はどちらでも構わないですが」
全く、幽霊顔のくせに、鳳月さんったら本当助平なのね。ああ、やだやだ、本当に男って奴は。
「花火の元となるのは、花火玉です。その中に入っているのは、あの花火の美しい光となる『星』、その星を四方八方に飛ばすための『割薬(わりやく)』後は、導火線とかですね。花火の星、これが花火の色を決める大切なものになります。また、これの配置によって花火の形等が変わります」
「星だなんて、随分しゃれてますね」
「ですねぇ。まあ、星といっても火薬ですから、見た目はただの黒い玉ですね。これにも種類があるようですね。一つは『切り星』です。切り干し大根ではありません、切り星です」
「そんなこと分かってます」
「面白くないですねえ、もう少し面白おかしくつっこんでくださっても宜しいですのに。まあ、いいですけどね。……この星の形は丸というよりはサイコロとかの方が近いですね。色は単色です。この星や菜種等を芯にして、色つきの炎を出すための薬剤をかけ、乾燥させたらまた今度は違う色を出す薬剤をかけて乾燥させる。そうやって、層を作る……これを『星掛け』といいます。こうして層を作ることで、打ち上げたとき、花火の光の色が変化していくんです。赤から紫になったり、黄色から赤になったり」
「その花火の色に、さっきの炎色反応が使われるんですよね」
「ええ。星掛けに使われる薬剤は、三種類のもので出来ているんです。まずは『炎色剤』これは、金属化合物で作られます。どの色を出すかによって使われる金属化合物の種類は変わります。青なら酸化銅、白ならマグネシウム等ですね」
「炎色反応は、火に金属片を入れたときの反応ですものね。それを利用するなら、当然必要になりますね」
「そうですね。けれど、これだけではいけません。他には、その金属化合物に酸素を供給する『酸化剤』、そして燃焼を助ける役目を持つ『可燃剤』です。酸化剤と可燃剤が、燃焼反応を起こして、炎色剤が色を出すために必要な高い温度を発生させるんです。そうすると、ガスバーナーに金属片を入れたときのような色が発生するのです」
「へえ……。本当に花火って化学の塊ですね」
「そうですねぇ。化学を駆使して作られた芸術ですねぇ。しかも、どんどん発展してきている。出せる色の種類も増えて、今は檸檬色やピンク色等の中間色も作れるようになったそうです。より燃焼温度も高くなりましたしね」
「ふむふむ。それで、その薬剤を層にして星を作っていくんですよね」
「はい。しかし、単純に層にしていくといっても、簡単なことではないようですね。この作業をする時は星掛け器という機械を使います。大きな釜のような壷のようなものですね。一つの種類の薬剤をかけたら、それが乾燥するまで次の薬剤をかけることはできません。それが乾燥したら次の薬剤、そして乾燥させてまたかけて……それを繰り返します。全ての粒がしっかり揃っていなければいけません。ばらばらでは、よいものは出来ませんからね。薬剤の調合もきっと難しいものでしょう。配合が少し変われば、色も大分変わってくるでしょうから。いかに自分の思うとおりに作れるか……。私達が思っているほど、簡単な作業ではないでしょうね」
「何だか、とても根気が必要そうですね。私には無理そう」
そう言うと、鳳月さんもうなずいて苦笑した。いつの間にか、周りにはそこそこ多くの人が集まっていたけれど、鳳月さんは気づいていないようだった。会場から少し離れていても、これだけの人が集まるのだから、すごい。きっと水瀬川周辺なんておしくら饅頭状態になっているに違いない。
「完成した掛け星等を並べ、そして一つの花火玉を作っていく。花火玉には、名前が付けられます。玉名(ぎょくめい)というんです。その名前を見れば、どういう形の、どういう色の花火なのかが分かるんですよ。三重芯引先紅光露とか昇曲導片引緑柳変芯変化菊とか。面白いでしょう、何だか呪文みたいで」
「面白い、かどうかは分かりませんけど……」
「名前の付け方にも法則があるようですねぇ。……まあ、今日はこれ位にしておきましょう」
「はあ」
「瑠璃さん。花火は綺麗ですね」
「え、ああ、まあ……綺麗ですよね」
何を当たり前なことを聞くんだろう。鳳月さんがにこりと笑った。
「花火の美しさとか魅力とかって、言葉で言い表せないものですよね。言葉も説明も、こういったものには必要ないんですよ。……花火がどういった理屈で作られているのか、そんなこと知らなくても、十分楽しめます。不思議なものですよね」
「何が、ですか」
「何か物を作るには、何かしら理屈というか、ある理論というか、そういうものが必ず必要になります。例えば、タイムマシンを作ろう! と思ったとします。けれど、ただ箱を組み合わせればタイムマシンが出来るなんてことはない。これをこうすると、人は時間を移動することができる、という理が必要になります。そういう理が世の中に存在しなければ、それを作ることは出来ない。そういう理が存在していたとしても、作る人がそれを知らなければ意味はありません。また、知っていたとしてもそれをどうやって機械や物に組み込んでいくか考える必要もあります。花火だって、金属片を火の中に入れると色が変わるという理を利用している。そういう理が存在しているからこそ、花火というものはこの世に誕生することができたのです」
でも、と鳳月さんは続けた。
「そうやって完成したものを鑑賞したり、使ったりすることに理屈とか、理とか、そういったものは必要ないんです。瑠璃さんは、電子レンジを使う時『これは、こういう構造で、これこれを利用して作られたものなのとね』と考えたことはありますか」
私は素直にない、と答えた。いちいち物を作っている時に「これはこうで、あれはあれで」なんてことは考えない。ただ説明書どおりに使い、ああ便利だなあと思っているだけだ。
「花火を見る時だって『これは炎色反応を利用しているんだ』とか思いながら見ているわけではないでしょう。そんなこと考えなくたって、理屈とかそういうことを頭に浮かべなくたって、花火は楽しめる。美しいと思える。勿論、そういうことを学び、そしてそれを思い出しながら見ることもまた一興でしょう。けれど、そういうことを何にも考えず、まっさらな気持ちになって見る方が、私は楽しいと思うんです。……花火は美しい。美しい花火を楽しみながら見ることに、理屈とかそんなものは必要ないんです」
そういって、鳳月さんが空を見上げた。
すると、どん!という心臓も脳みそも、全てを震わせるような大きな音が鳴り響いた。
それと共に、美しい紅色の火の花が、夜空に咲いた。
花火大会の始まりだった。
大きな音が、体だけでなく、心も揺さぶる。
嗚呼、青や紫や紅や黄色や橙の花が次々と咲いては散っていく。花が咲くたび、歓声があがった。
私は、色とりどりの花が咲いては散り、咲いては散りを繰り返す空を食い入るように見つめていた。
鳳月さんから教えてもらった、炎色反応のこととか、星のこととか、もう全部吹き飛んでしまった。そんなことを考えている暇なんてない。私は、空を見上げることに必死だった。
私は、周りに人がいることも忘れ、ただ見入っていた。もうここにいるのは自分だけ、世界が自分と花火だけで回っているような感覚だった。
連続で、花火が打ちあがる。
彼岸花が桔梗に変わり、ばちばちという音と共に黄金の蝶が舞い、蜜柑が空高く放り投げられ、金色の線に金箔を塗したようなものが綺麗な円を描いて舞った。ステンドグラスを砕いたような色のものもあがる。
赤、青、黄色、橙、紫、ピンク、緑、金、銀、ああもう何種類の色が出てきたのか分からない。
この色のバリエーションも、綺麗な円も、日本独自のものなのだと、鳳月さんから聞いた。
この美しさを、感動を、どうすれば伝えることが出来るだろう。いや、伝えることなんて出来ない。直接見なければ、感動が伝わらない。それが芸術。色、音、その場の空気、匂い、どれも言葉で完璧に相手に伝えることなんて出来ない。
私はただ、食い入るようにその花火を見つめていた。
何故か、急に右手が温かくなった。何か温かなものを握っているのかな。でも握るものなんて、何も持っていないのに。けれど、悪い気はしなかった。
それは実は鳳月さんの左手だったのだけれど、その時の私は全然知らなかった。全く気づいていなかったのだ。鳳月さんも、気づいていなかったのかもしれない。どちらが手を握って、どちらが握り返したのか、それは永遠に分からないことだった。だって、私も鳳月さんも花火を見ることに夢中になっていたのだから。
今は一瞬たりとも、空から目を離していたくはなかった。空に咲く花の寿命は短い。余所見をしていたら、折角の美しい花を見ることができないから。
同じ花は、ない。全く同じように開く花なんて、存在しない。どれもこれも微妙に違う。だからこそ、私は見続ける。
オンリーワンな花火……そういえばオンリーワンとか花とかそういう単語が出てくる歌があったわよね。花屋に並ぶ花はそれぞれ違う。夜空に咲く花も、また同じだ。
「綺麗です」
鳳月さんが、ぽそっとつぶやいた。
「ええ、やっぱり花火は綺麗です」
私は笑って答えた。何故かその答えを聞いた鳳月さんがぶつぶつ何かつぶやいていた。私、何にも変なこと言っていないのに。
「何ですか? 何か言いたいことでも」
「いいえ、何でもありませんよ。何でも、ね」
そう言ったきり、鳳月さんは黙ってしまった。私も、特に話しかけることはなかった。
ただ二人で、空をずっと見ていた。
(言えるわけ、ないじゃないですか)
花京院鳳月は、空を見上げている瑠璃の横顔をちらっと見て、やや恥ずかしそうに俯いた。
瑠璃は「綺麗ですね」という自分の言葉を「花火、綺麗ですね」という意味でとったらしい。まあ、確かにあの流れならそう思うのが妥当だろう。
鳳月は、苦笑した。
(言えませんよ。……花火を見ている瑠璃さん、とてもお綺麗ですという意味で言ったつもりだったなんて)
自分があげた浴衣は、瑠璃によく似合っていた。そして、花火を食い入るように見つめる、花火の発する光に照らされた瑠璃の横顔。
素直に、綺麗だと思った。……正直、人の沢山いるところに来るのは嫌で、今は花火を見ているのに夢中になっているからいいけれど、花火大会が終わったら、苦しくて気持ちの悪い思いをすることになる。
まあ、でも。瑠璃の綺麗な姿を見ることが出来たからいいかな、とも思う。
鳳月は、空を見上げ、空に咲く火の花を、瑠璃と一緒に見る。
何故かさっきから自分の左手に感じる温もりを愛しいものだと思いながら。