あの日が来る(38.覚悟)




 気持ちがいいくらい、晴れていた。
 水面(みなも)は、花畑の真ん中に座って「その時」を待っていた。水面は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
 左手の薬指につけた、サファイアのついた指輪をはめなおし、髪の毛が跳ねていないか確かめ、変な臭いがしないか、自分の腕の匂いを軽くかいだ。ワンピースは汚れていないだろうか、化粧は崩れていないだろうか。水面は「その時」が来るまで、そんなことを何度も確かめていた。

 「大丈夫、よね」
 誰も答える人はいない。
 風が吹き、色とりどりの花を揺らした。甘い香りがする。ああ、何ていい香りなのだろう。今日晴れることは、分かっていた。「見た」時、綺麗な青空が見えたからだ。
 「その時」が、いつ来るかも分かっていた。水面は、腕時計を見た。後三十分といったところだろうか。

 水面は、これからこの花畑にやってくる人物……花里(はなさと)のことを思った。

 彼と初めて会ったのは、水面が十歳の時だった。
 水面が一人で砂遊びをしていた時、後ろから彼が声をかけてきたのだ。

 「僕も一緒にやっていいか」
 水面は振り返った。彼の、無邪気な微笑が視界に入った。その瞬間、水面には「見えた」のだ。自分と彼が歩む未来を。とある瞬間を。
 水面は、生まれつきそういった特殊な能力を持っていた。人の顔を見ると、その人の未来が見えるのだ。勿論、毎回見えるわけではないのだが。
 花里の未来のヴィジョンには、水面も映っていた。
 運命の、出会いだった。
 水面は、にこりと微笑み返した。

 「いいよ。一緒に遊ぼう」

 それから、花里と何度も会っては一緒に遊んだ。森を駆け回ったり、二人だけでかくれんぼをしたり、木の実をとりにいったり、遊園地へ行ったり。周りから色々からわかれても、少しも気にしなかった。「お前らラブラブだな」と言われたら「うんそうよ、ラブラブなの」と返してやった。相手が呆気にとられたような顔を浮かべるのを見て、二人で笑った。
 二人が、友人から恋人になるまで、そんなに時間はかからなかった。
 水面は心の底から花里を愛し、花里も心の底から水面のことを愛した。

 水面と花里が十六歳になった時、二人はとある花畑にやってきた。
 水面は花里の為に、サンドイッチやから揚げ、クッキーを作って彼に食べさせた。花里は、美味しい美味しいと言いながらそれを食べた。そして、手をつなぎながら、一緒に青空を眺めた。

 「私達、ずっと一緒ね」
 
 「ああ、ずっと一緒だよ」
 そろそろ帰ろうか、という時に花里は、小さな箱を水面に手渡した。水面は、箱を開けなくてもその中に何が入っているのか分かっていた。
 箱を開けると、そこには六年前に見たヴィジョンに出てきた自分がはめていたのと全く同じの、サファイヤのリングが入っていた。
 花里は、最初恥ずかしそうにぷいっとそっぽを向いていたが、やがてにこにこ笑う水面をじっと見、真顔で言った。

 「水面。俺が十八歳になったら、もう一度この花畑に一緒に来てほしい。……その時、俺は……ああ、もう後は察してくれ。これ以上は恥ずかしい」
 顔を赤くする花里の頬を、水面はぷにぷにつつきながら笑った。花里の、照れ屋なところが好きだった。
 分かっている。二年後、ここで何があるのか、花里が何を言うのか、全て分かっている。でも、そんなことは言えない。水面は笑って「いいよ」と答えた。

 その後すぐのことだった。花里は旅に出た。十八歳の誕生日には絶対帰ってくる。その日、必ずあの花畑にきてほしいと花里は言った。
 言われなくても、行く。水面は「いいよ」と言った。
 そして、花里は水面の前から姿を消した。でも、寂しくはない。二年後に会えることが分かっているからだ。

 そして、二年の歳月が過ぎた。
 今日は、花里の十八歳の誕生日だった。十八歳の花里がどんな姿をしているのかも、水面には分かっていた。分かっていたけれど、実物に会えるのは今日が初めてだ。水面は嬉しくて仕方が無かった。
 もうすぐ、彼はやってくる。
 水面は、深呼吸をした。

 「水面」
 彼の、花里の愛しい声が聞こえた。水面はゆっくり振り返った。

 ヴィジョンで見た通りの花里がそこにいた。
 二年前よりも背が高くなっていて、体格もがっちりとしていた。実物を見ると、胸がどきどきした。
 そして、水面は花里が手に持っているものを見た。

 (分かっていた。出会ったその日から、こうなることは分かっていた)

 花里の手には、黒い剣が握られていた。
 冷たい表情で、花里は水面を見ていた。

 「水面。……俺、水面を殺しに来た」

 「うん。……知ってた」
 水面がそういうと、花里が驚いた表情を浮かべた。
 そして、あの話は本当だったのか、と呟いた。水面の能力を、誰からか聞いたらしい。

 「いつから」

 「出会った瞬間。その時、見たの。貴方が私を殺すヴィジョンを」
 花里が、頭を抱えた。ふざけんな、そう呟いたのが水面には聞こえた。

 「分かっていて、付き合ったのか。俺に殺されるのを、知っていて」

 「うん。分かっていた。それでも、私は貴方を愛した。運命が変わればいいな、とかほんの少しは思ったけれど。無理な話よね」

 「殺されるんだぞ、お前」

 「うん。でもいいよ、花里になら殺されてもいい」
 水面は、笑った。花里は頭を抱えてしゃがみこんだ。馬鹿野郎、馬鹿野郎……何なんだよ、それ、ふざけんなよ……花里が苦しそうにうめいた。

 「ねえ、何で私を殺すの」

 「どうせ、その理由も知っているんだろう」
 
 「ううん。だって私が見たのは、花里に刺し殺される瞬間だもの。そういうのは、見てないの」
 水面は苦笑いした。花里は、俯いたまま話しだした。旅先で、面倒な組織に捕まったこと、命を助ける代わりに、水面を殺せと命じられたことを。水面の不思議な力は、彼らにとっては神様を冒涜するものなのだという。
 例え花里が水面を殺さなかったとしても、組織の中の暗殺者が水面を殺すだろう。

 「他の誰かに殺されるくらいなら、俺が殺した方がいいと思ったんだ」

 「花里は、優しいね」
 水面が優しく言った。すると、花里は顔をあげ、立ち上がった。

 「馬鹿野郎! なんでそんなに落ち着いていられるんだよ!? いくらその瞬間を見ていたとはいえ、お前、お前殺されるんだぞ!? 死ぬんだぞ!? なんで、なんでそんなに!」

 「八年ものの覚悟だもん」
 その言葉に、花里は固まった。

 「出会った瞬間に、私は自分が死ぬ姿を見た。私は、それを受け入れた。……例え殺されてもいい。貴方と一緒に生きたいって思った。だから私は、一緒に遊んでいいと聞いた貴方に、いいよって答えた」
 その日から、覚悟を決めていた。自分は、この子に殺される。どれだけ愛しても、愛されても。最後は、この子に殺される。でも、それでもいい。一緒にいたい。
 運命とかじゃない。一緒に生きたいかどうか。それは、それだけは自分で決めたことだ。

 「覚悟した上で、ずっと貴方と一緒に過ごしてきた。……子供のときは、何度も迷った。でも、時がたつにつれ、その覚悟は確固たるものになってきた」
 水面は、両手を広げた。

 「殺して。花里。全部、終わらせましょう。大丈夫、貴方はあの組織から逃れることができる。そのヴィジョンも、かすかにみたの」
 花里が、剣を構える。その手は震えていて。剣も小刻みに揺れていた。顔に迷いが浮かんでいる。
 水面は一度目を閉じ、そしてかっと開けた。

 「私は覚悟している。だから、花里も覚悟して。意思をかためて」

 「愛しているよ、花里」
 わああああああああ、花里がかすれた声で叫びながら向かってきた。
 水面は逃げなかった。

 ぐさり。
 自分の腹を、花里の持つ剣が貫通していくのを感じた。
 痛い。とても痛い。ヴィジョンでは感じられなかった痛みだ。
 水面は痛みをこらえ、涙をこらえながら、花里を抱きしめた。花里が、剣の柄から手を離し、抱きしめ返してきた。

 「好きだ、水面。好きだよ。結婚しよう、結婚しよう、水面。本当に言いたかったのは、その言葉だった。平凡だけど、幸せな生活を共に過ごそう。子供も作って、子供と一緒に暮らして……死ぬ、まで、死ぬまで一緒に暮らそう」
 水面は、初めてそこで涙を流した。その言葉が、何より嬉しかった。その言葉を聞くために、生きてきた。死を覚悟してまで。

 「ええ、喜んで」
 意識が遠のいていく。花里が鼻水をすすり、わんわん泣く声だけが聞こえる。
 ああ、私はなんて幸せなのだろう。

 そして、水面の意識は完全に途切れ、そのまま静かに息を引き取った。