鬼灯夜行(5)






 そして、気付けば祭りの日になっていた。
 3時ぐらいまで店番をしていたあたしは、婆ちゃんに呼ばれて2階へあがっていった。相変わらず酷い音のするドアを開けると、両手を腰にやり、どんと立ちながらにやにや笑っている婆ちゃんがあたしを待ち構えていた。

 「ほれ、浴衣着せてやるからこっちへ来な」
 浴衣なんて面倒くさい。あたしは、普段着で行くつもりだった。だけど、やる気満々の婆ちゃんからはどうやっても逃げられない。
 あたしは観念して、婆ちゃんの部屋へ向かった。リビングのテーブルに座って、バニラアイスを食べていた馬鹿兄貴に婆ちゃんが「覗くなよ」と言う。「誰が覗くかよ、凶暴な妹の着替えをさ」と実に生意気な返事が返ってきた。こっちだって覗かれたくない。あたしはあかんべえをしてやると、いつもより乱暴にふすまを閉めた。

 「さ、着替えだ着替え。ほれ、さっさと身ぐるみはいじまいな」

 「どこの盗賊だよ、どこの。……しょうがないから脱いでやるけどな。でもさ、うちにあたしが着られるような浴衣なんてあったっけ?」
 ガキの頃は婆ちゃんが作ってくれた浴衣があったけれど。最近浴衣を買ってもらった覚えはないし、婆ちゃんが浴衣を作っているのを見た覚えもない。浴衣なんて、ここ数年の間一度も着ていない。
 婆ちゃんがにやりと笑った。

 「それが、あるんだよ。最近、知り合いからもらったのさ。ちょっと古いけれど、立派なものだよ」
 そういって、婆ちゃんが何か高貴な匂いの漂う箱を開けて、浴衣を取り出した。
 色は、浴衣によくある藍色だった。深いその色は、夜空のようだった。裾の方に、緋色と緑と明るい紫色の手鞠が描かれている。それぞれ、色々な模様が描かれていて、なかなか綺麗だった。そして、明るい色の桜の花びらがひらひらと舞っているのだ。あたしは春の夜に見た、ライトアップされた桜を思い出した。

 「へえ、綺麗だな」

 「これを見て、素直に綺麗だって言えるとは。あんたも一応女の子だったんだね」

 「女で悪いか」

 「悪くはないさね。……ったく、あんた、相変わらず胸がないねえ。ったく、頭にも乳にも栄養がいってないんだね、あんたの場合は」

 「うるせえ。別に胸なんてなくたっていいじゃないか」
 
 「はん、まあどっちでもいいけどね」
 そういいながら、婆ちゃんは手馴れた手つきで、あたしに浴衣を着せていく。
 浴衣から、桜の花の甘い匂いが漂ってきていた。その匂いを嗅ぐと、あたしはいつも思い出す。……馬鹿出雲と初めて「出会った」あの日のことを。
 身体中が冷たくなって、微かに震える。その後、火に炙られたかのように熱くなる。
 そして、先日の出雲の言葉が頭の中を縦横無尽に駆け巡っていった。

 ---そんなに、大事なのかい。私が妖怪なのか、人間なのかってことは---
 
 ---そのとき、私は君を……---
 うるさいな。あたしは、蝿を手で追い払うかのように、その言葉を頭から追い出していった。
 
 (何で、あんな奴の言葉のせいでこんなにイライラしなくちゃいけないんだ)
 腰に巻かれていく帯のように、ぐるぐると頭と腹の中を巡る思い。どれだけ追い出しても、次から次へと入ってくるあいつの言葉と顔。
 あいつのことなど、大嫌いなのに。考えないほうが、ずっと楽だというのに。

 ぱん、と婆ちゃんがあたしの尻を軽く叩いた。どうやら、着付けが終ったらしい。

 「なんだい、その仏頂面は。全く、浴衣を着れば少しは色気が出るかと思ったけれど。駄目だねえ、本当に。何であんたはそんなに色気がないんだ」

 「婆ちゃんの孫だからだろう」
 そういうあたしの頭を、婆ちゃんが思いっきり殴った。容赦のない一撃だった。

 「痛いな! 何も殴ることないじゃんか」
 しかし、その一撃のお陰で出雲のことが頭からぽんと出ていってくれた。その点に関しては、感謝すべきだろう。
 
 「うるさいねえ、とにかく、さっさとお行き。友達と会うまでには、その仏頂面、直しておくんだよ」
 あたしは、あかんべえをしてやると、ふすまを乱暴に開けた。そして、そのまま家を出ようとする。

 「紗久羅」
 婆ちゃんが、そんなあたしを呼び止める。

 「何だよ」

 「出雲にあったら、よろしく伝えておくれよ」

 「……な、なんで」
 なんで、そこであいつの名前が出るんだ。ちくしょう、また思い出しちまったじゃないか。せっかく忘れかけていたのに。
 婆ちゃんは、ただにこにこ笑うだけだった。そして、教えてやらないよとばかりにあかんべえをしてきやがった。
 あたしも、あかんべえで応戦して家を出て行った。

 やっぱり、あたしに色気がない原因は婆ちゃんの血なんじゃないか、と思った。

 外は相変わらずむしむししていて、セミはぎゃあぎゃあ喚いている。更に、浴衣を着た女やガキの、わいわいきゃあきゃあという声がそこらじゅうから聞こえる。
 祭りというものは、本来楽しむものだ。もう少し歩けば、ずらりと並ぶ屋台が見えるはずだ。それなのに、あたしの気分は少しも晴れなかった。ただいらいらするばかりで、いっそこのまま方向転換して家へ帰ってしまおうかと思った。
 出雲の言葉が頭から離れない。今度会ったらどうするというのだ。あれだけまじな顔をしていたのだ、何もないわけはない。
 あいつに、今は会いたくない。でも、このまま進めばあいつに会うかもしれない。
 そんなことを考えながら歩いていたものだから、後ろからぽんと肩をたたかれたときは、心臓が飛び上がるかと思った。慌てて振り返ると、そこには青い無地のシャツにジーンズという地味にもほどがある格好をした、さくら姉が立っていた。
 あいつじゃなくて、本当に良かったと思った。ああ、くそ、まだ心臓がばくばくいってやがる。

 「びっくりした、さくら姉か」

 「こんばんわ、紗久羅ちゃん。素敵な浴衣ね、とても似合っているわよ」
 暑さとセミの声でいらいらするようなことなど、決してなさそうなさくら姉は、あたしと違って、にこにこしていた。
 
 「そんなことねえよ。さくら姉も、祭りに?」

 「ええ、巫女様のやる、桜と出雲の魂を鎮める舞を見に行くの。とっても素敵なのよ。本当、皆もったいないわ。皆、屋台ばかりに目がいってしまって、舞なんて見ないんですもの」

 「気が向いたらね」

 「あ、そうだ、紗久羅ちゃん。さっき、あの方を見かけたわ」

 「あの方?」
 
 「ほら、よくお弁当屋さんに来ている男の人よ。とっても綺麗な髪の毛の、着物を着ている」
 ……出雲のことだ。やっと落ち着き始めた心臓がまた、それはもういい勢いで飛び上がった。やっぱりあいつも来ているんだ。
 さくら姉は、あいつのことを忘れないらしい。普通の人間は、あいつが視界から消えた途端、あいつの存在を忘れてしまうというのに。
 さくら姉の目がとろんとしている。やばい、あの目は自分だけのメルヘンワールドにワープしてしまった時の目だ。

 「素敵よね、あの方。長くてとても綺麗な髪の毛、切れ長の瞳。そして、なんといっても着物姿だというところが、最高だわっ。赤い蛇の目傘持って、桜の木の下に立ったら、それはそれは美しいのでしょうね。私、その姿を見たら、失神してしまいそう」
 あいつがとんでもない悪魔であることを知らないさくら姉は、うっとりしながら、一人語っている。
 あれが、化け狐の出雲だと知ったら(いや、そう決まったわけではないけれど。いいや、きっとそうに違いない)さくら姉はどうなるだろう。発狂して、町中を走り回り、挙句意識を失って倒れてしまうだろうか。いずれにしろ、狂喜乱舞することは間違いないだろう。さくら姉にとって、言い伝えにでてくる妖怪たちは、憧れの存在なのだから。
 ああ、それにしても憂鬱だ。あいつがここに来ているなんて。
 うわ、そうだ。あたしは今浴衣姿だった。こんな姿あいつに見られたら、絶対からかわれる。馬子にも衣装、だとか、お転婆紗久羅姫も浴衣を着れば普通の女の子だね、とか言うに決まっている。
 奴がにこにこ笑いながらそう言う姿を想像したら、鳥肌が立った。そんな恐ろしい、いやおぞましい事態にならないことを祈るしかない。

 「ああ、あの人に話しかけてみればよかったわ。それにしても不思議ね。あの人、あんなに目立つのに、誰もあの人に気付いていないみたいなんですもの」

 「あいつは、霞みたいな奴なんだよ。掴みどころがないんだ。ああ、ごめん、さくら姉。あたし、ダチと待ち合わせしているから、そろそろ行かないと」

 「霞みたい……確かにそんな感じね。ああ、ごめんなさいね。お祭、お友達と楽しんできてね。私は一人でのんびりしているわ。本当は一夜と一緒に行こうかなって思ったのだけど。ものすごい勢いで拒否されちゃったわ」
 そりゃ、いくら馬鹿兄でも彼女でもない人間とは行きたくないだろう。そんなことしたら最後、たちまち噂になるに違いなかった。さくら姉は、本当にそういうことには鈍い。
 あたしは苦笑いしながら手を振って、さくら姉と別れた。

 桜山の麓に並ぶ屋台の周りには、大勢の人がいた。隣にある三つ葉市や、舞(まい)花(はな)市(し)から来た人もおり、屋台に囲まれた狭い道は、人で埋め尽くされ、今にも爆発しそうだった。皆、まあよくこんな田舎町の祭りなんかに来るなあ、余程暇なんだなあ、などと感心してしまう。
 林檎飴の甘い匂い、焼きそばのソースの香ばしい香り、射的のぽんぽんという音、ガキが綿菓子を親にねだる声、ぴぃひゃららという祭囃子が混ざる道を抜けた先に、桜山神社へ続く階段が、見える。その両端にも、屋台が並んでいる。
 神社の入り口には、大きな鳥居がある。朱塗りのそれは、もう大分色あせていて、ところどころに傷がある。誰かが釘か何かを使って、故意につけたらしいものもあった。かくかくの線で、相合傘が描かれている。全く、馬鹿なことをするものだ。さくら姉がみたら憤慨して、犯人を捕まえてこらしめてやるわ、と言うに違いない。
 その鳥居の前に、あたしを待っているダチが2人いた。一人は私服姿、もう一人は青地に朝顔の描かれた浴衣を着ている。

 「あ、紗久羅。やだ、あんた浴衣着ているの!? もう、あたしは絶対私服で行くっていっていたくせに。私だけ私服なんて、恥かしいじゃない」
 私服姿の方……あざみは、ぷんぷんとわざとらしく頬を膨らませて怒ってみせた。

 「うるせえ、あたしだって好きで着ているわけじゃないやい。婆ちゃんに無理矢理着せられたんだ」

 「言い訳無用。罰として、チョコバナナ一本おごってもらいますからね」

 「何でだよ」

 「友達に嘘ついた報いです」

 「馬鹿いうなや。嘘つこうとしてついたわけじゃないんだから」
 
 「もう、紗久羅もあざみも、楽しい楽しいお祭で喧嘩なんてしないでよ」
 そう苦笑いするのは、咲(さ)月(つき)だ。背が高く、スタイルもいい美人娘。今は別の高校に通っている。どうやら、高校でももてもてらしい。
 紗久羅、あざみ、咲月。あたしたち三人は、ここ桜町では「お花トリオ」と呼ばれていた。3人とも名前が花からとられているからだ。
 男勝りのあたし、童顔で子供っぽいあざみ、美人で大人っぽい咲月。性格も外見も全く違うけれど、昔からあたしたちは仲が良かった。

 「分かってるって。それより、早く行こうぜ。こんなところでぼうっと突っ立っていてもつまらないだろう」

 「それもそうだ。私もう、お腹すいちゃった。いっぱい食べなくちゃ」

 「まあ、あざみったら。私は、巫女様の舞を見たいわ。普段は見ないのだけれど、今年は美乃里(みのり)姉さんが舞うのですって」
 
 「美乃里、って咲月の従姉妹だっけ」

 「そうよ。私にとって、自慢の姉様だわ。美人だし、優しいし、勉強も運動も出来るし」

 「その言葉、咲月に全部返してやりたいわ。咲月だって、綺麗で優しくて、勉強も運動もできるじゃないの。ああ、もう悔しい。罰として、私に林檎飴一本おごること」
 あざみがびしっと咲月を指差しながら、食い意地の張った発言をする。全く、食べることしか頭にないのか、と思う。こいつは、あたしたちの数倍も食べるくせにやせていて、背も一向に伸びない。
 
 「美乃里姉様には敵わないわ。まあ、まだ舞までは時間があるし、屋台巡りに行くとしましょう」

 「はあい」
 あたしとあざみは、咲月についていった。

 「紗久羅、射的で対決しようよ。どっちが大きな景品とるかでさ。負けた方は、ポップコーンをおごるってことで」

 「お前、本当に食べ物のことばかりだな」

 「だってお祭って、食べるためのものでしょう」
 その言葉に、あたしと咲月は苦笑いするしかない。こいつにとっては、花火や舞はどうでもいいのだ。まあ、気持ちが分からないでもないけどさ。

 「まあ、いいや。勝負は好きだからな。ふんだ、絶対負けないからな」
 あたしは、射的屋のおっちゃんにお金を渡す。続いてあざみもお金を渡し、鉄砲を手に取る。射的は、一人5回挑戦できる。

 「二人共、頑張ってね」

 「咲月は、私の応援をしてくれるんだよね」

 「いや、あたしだろう」

 「二人共、って言ったでしょう」
 咲月が困ったように笑った。彼女は昔からあたしたち二人の保護者役だった。

 あたしは、まずは無難な難易度っぽい、軽そうな置物に狙いを定めた。
 あたれあたれあたれあたれ……と念じながら、引き金を引く。
 ぽんっという間抜けな音と共にコルクが鉄砲から飛び出す。しかし、惜しくもわずかに狙いはそれてしまった。あたしは舌打ちする。

 「それじゃ、次は私の番だね。私は、あのくまのぬいぐるみを狙うからね」
 そういって指差したのは、討ち取るのがかなり難しそうな、可愛らしいくまのぬいぐるみだった。
 あんなもの、とれるもんか。あたしは油断していた。

 奴は、やってのけた。
 ぽん、と鉄砲から放たれたコルクがくまに見事にヒット。しかも、バランスを崩し、ぬいぐるみはぽてっと落ちた。
 開いた口が塞がらなかった。馬鹿な、なんであんなものがとれるんだ。ああ、そうだ。あざみは馬鹿みたいに運のいい人間だった。すっかり忘れていた。

 「やったね、大きい景品ゲット! これで私の勝ちだね」

 「いや、まだ勝負はわからないぜ」
 そういって、やってみるが、上手くいかない。4発目に小さなキューピー人形をゲットするが、あざみのとった人形には到底敵わない大きさだった。
 最後のチャンス。こうなったら。あたしは、くまのぬいぐるみより大きい、間抜けな顔のかっぱのぬいぐるみに狙いを定める。

 人間、信じるものは救われる、という。
 ならば、勝利を信じて撃てば、あるいは大きな獲物でも仕留められるかもしれない。しくじるなよな、自分。頑張れあたし、あたしは頑張れば出来る子だ。
 今のあたしには、周りの音は何も聞こえない。かっぱの間抜けな顔しか、目に映っていない。
 いける。
 
 覚悟しろ、間抜けなかっぱ。そして、大食いあざみ。
 あたしは、引き金に手をかける。

 ぽん。

 「ひい!?」
 突然、恐ろしく冷たい手に肩を叩かれ、あたしはぎくりとした。そして、馬鹿みたいに狙いがそれた状態で引き金を引いてしまった。
 ぽんと放たれたコルクは、かっぱにかすりもせず、宙高く飛んで、へなへなと力なく落ちていった。かっぱがきゅっきゅっきゅと笑う声が聞こえたような気がした。
 あんな冷たい手をしている奴、出雲しかいない。あの野郎、よくも邪魔を!あたしは勢いよく振り返る。が、奴の姿はなかった。
 結局あたしはかっぱに敗れ、くまに敗れ、あざみに敗れた。あざみに敗北すること、それすなわちポップコーンをおごることなり。ああ、貴重なお小遣いが。無念なり。おのれ出雲、今度あったらただじゃおかない。いや、できれば会いたくないけれど。

 あたしはあざみにポップコーンをおごってやる。「いやあ、悪いですねえ、紗久羅さん、はっはっは」とわざとらしく言いながらポップコーンを頬張るあざみを、思わず殴り飛ばしたくなった。
 その後は、林檎飴を買ったり、チョコバナナを買ったり、らくがきせんべいに絵を描いたり、たまたま出会った知り合いと話したりして、祭りを楽しんだ。

 「あ、そろそろ舞が始まる頃だわ。二人共、一緒にいってくれる?」

 「別に構わないぜ。お腹もそこそこいっぱいになったし」

 「私もいいよ。まだまだいっぱい食べたいものあるけど、後でいいや」
 あたしと咲月の3倍は食っていた奴のセリフではない。

 まあ、今更こいつにそんなツッコミを入れても意味ないか。そう判断したあたしと咲月は、あえてその言葉に対して何も言わず、桜山神社を目指して歩き始めた。
 あたしは急にトイレに行きたくなってしまい、二人を先に行かせ、近くにある仮設トイレに向かった。
 さっさと用を済ませると、再び神社へ向かう。まだ舞は始まっていないはずだ。そう急ぐこともないだろう。あたしは、のんびりと歩いていた。
 
 鳥居と平行になっている道を進み、ようやく鳥居の前までやってきた。あたしは、身体の向きをかえて、鳥居と向かい合う状態になった。
 そして、凍りついた。
 鳥居の下に、出雲が立っていた。
 妙に冷たい風が吹き、木々がざわざわと不吉な音をたてて揺れている。あいつの長い髪の毛がさらさらと揺れている。
 出雲の表情は、何も感じていないような表情で、冷たい。棒立ちになっているあたしを、ただじっと見つめているだけだった。

 「こんばんは、お転婆紗久羅姫」