鳳月、困り果てる(35.困る)
はぁ。五色堂主人・花京院鳳月は、それはそれは深いため息をついた。
ため息の原因、それは自分の目の前にいる幼い少女であった。
「ほうちゃん、この豆大福とっても美味しいよ」」
「それは良かったです」
いつもは自分が座っている、店のカウンターの後ろにある椅子。そこにちょこんと座り、小さな足をぱたぱたさせながら、豆大福を食べている娘。
その少女は、近くに住んでいる親戚の娘で、名前を真奈といった。今年の春、小学生になったばかり。カウンターの後ろにある部屋に放置されている赤いランドセルは、ぴかぴかでつるつるしている。
両親の帰りが遅くなる日は、こうして親戚である鳳月が彼女を店で預かっている。鳳月は、正直子供などあまり好きではない。いや、正確に言うと大人も子供も、兎に角人というものはあまり好きではない。出来れば、人と関わりなど持ちたくないと思っている。しかし、親戚の頼みを無下に断ることは出来ない。
そんな彼の思いなど知る由もない真奈は、豆大福にかぶりつくことに夢中になっている。
「あまり、急いで食べちゃいけませんよ。喉につまらせたら大変だ」
「わっはてふほー」
分かっているよ、と真奈が返す。頼むから、喉につまらせるのだけは勘弁してくれ、と鳳月は切実に思った。そんなことになったら、面倒だ。
真奈は、豆大福を平らげると、まだ熱いお茶を一気に飲み、思いっきりむせた。
「ちょっと、大丈夫ですか」
「大丈夫」
そりゃ良かった、そう返して彼は大福の粉やら何やらで汚れたカウンターをふきんで拭いた。
そして、その後自分もお茶を一口飲んだ。
「ごちそうさまでした。豆大福、とっても美味しいね。また食べたいな」
手を合わせ、やや間延びした声でそういうと、鳳月を見てにこりと笑った。
彼女が自分の顔を見て、にこりと笑う時は、大抵ろくでもないことを言い出す時だ。
「ねえねえ、ほうちゃん」
「なんですか」
「ほうちゃん、結婚しないの」
危うく飲んでいた茶を噴出しそうになり、口をさっと手で覆った。全く、何だってそんなことをいきなり言い出すのだ。豆大福から、どうして結婚という流れになるのだ。これだから子供は苦手だ。
しかし、無視するわけにもいかない。
「なんで、いきなりそういう話になるんですか」
「だって、ほうちゃん恋人いるんでしょう」
「はあ? いませんよ、そんなもの」
何を言い出すんだ、この子は。鳳月は心の中で10回くらいため息をつきながら、カウンターの上に置いてあった本を手に取り、カウンターに寄りかかりながら本のページをぺらぺらめくりだす。本を読むふりでもしていれば、彼女も黙ると思ったのだ。
しかし、そんな手段が小学校1年生の空気を読むとか、そういった言葉など知るはずもない子供に通用するはずはなかった。
真奈は両手で頬杖をつきながら、鳳月の背中をじっと見た。
「じゃあ、あのお姉さんは誰?」
「お姉さん?」
「最近、お店によく入っている人。私、何度か見たことあるよ」
鳳月は、持っていた本を危うく落としそうになった。最近よく、この不気味な(自分で言うのもなんだが)店に来るようになった女の人。彼女が恋人だと勘違いしているということは、自分とそう年齢の変わらないような人物だということだ。
そんな人間、一人しかいない。
(瑠璃さん……のことか)
「残念でした。瑠璃さんは恋人ではないですよ」
「あのお姉さん、瑠璃っていうんだ」
しまった。親切に、名前まで教えてしまった。
「兎に角、彼女はただの常連です」
「じょうれん? 何、それ」
「何って言われましても」
どう説明すればよいのだろう。子供に言葉を教えるのは面倒くさい。
「このお店に何回も来てくれているお客さんのことです」
「ふうん。……絶対ほうちゃんの恋人だと思ったのに」
「違います」
それは断言できた。彼女は恋人でも、友人でもない。ただの常連客だ(滅多に商品を買うことはないが)
「だって、この前のお祭りのとき、ほうちゃん、そのお姉さんと手を繋いで花火見ていたじゃん」
鳳月は、手に持っていた本を思わず落としてしまった。
見られていた。……しかも途方もなく面倒くさい人間に。
彼女の言っていることは、事実だった。夏にあった祭り。自分は行くつもりはなく、TVで花火大会でも見ていようと思っていたのに、瑠璃に半ば無理矢理店から引っ張り出され、何故か一緒に祭りに行くことになってしまったのだ(そこらへんの詳しい話については、また後日はなすことにしよう)
花火を見ているとき、手を繋いでいたかどうかは覚えていない。しかし、彼女がそういうのだから、そうなのかもしれなかった。
「あれは、無理矢理連れて行かれたんです」
「デートじゃないんだ」
「違います」
「でも、ほうちゃん、ものすごく楽しそうだったよ」
「花火を楽しんでいただけです」
正直に言うと、それは、嘘だった。瑠璃の浴衣姿にもちょっとときめいていた。しかし、そんな事いえるわけがない。いってはいけない。魚に水を与えてはいけないのだ。
「絶対嘘だ」
随分きっぱりいってくれる。この娘、なかなか鋭い。
「ほうちゃん、瑠璃おねえちゃんの顔見てにやにやしていたもん」
鳳月の心臓は、爆発しそうだった。……表情まで見えるくらい、この娘は近くにいたのだ。ということは、彼女の両親も近くにいたということだ。そういえば、あの祭りがあった日から数日後に会った真奈の母親が、やたら自分の顔を見てにやにやしていたっけ。
「それは、君の見間違いですよ」
嗚呼、早くこの娘を迎えに来てくれ、真奈のお母さん。そう願うしかなかった。……が、少なくともあと2時間しなければ、迎えに来ることはないだろう。
鳳月は心底困った。大人を言いくるめることは得意だが、子供……特に真奈のように妙に鋭い子を言いくるめることは、大の苦手であった。
「絶対見間違いじゃないもん。ほうちゃん、すごく楽しそうだったもん」
がらっ。
酷く動揺している時に店の戸が開くものだから、鳳月は酷く驚き、びくっと肩を震わせた。
そして、店に入ってきた人間を見て、顔をぐちゃぐちゃにゆがめた。
今、一番来て欲しくない人間だった。
「こんにちは、鳳月さん。……あれ? 子供?」
田村瑠璃。最悪のタイミングで入ってきた彼女は、カウンターの後ろにいる真奈の姿を見て、少々驚いたようだった。
なんだってこんな時に。空気の読めない人だ。いや、空気が読めないのはいつものことか。
「ああ。親戚の子供ですよ……両親の帰りが遅いので、こちらで預かっているんです」
「そうだったんですか」
そういって瑠璃は、妙ににこにこしている真奈に近づき、少し屈んでにこりと微笑んだ。
「こんにちは」
「こんにちは。真奈といいます。よろしくお願いします」
急にいい子ちゃんモードになった真奈は、椅子から降り、ぺこりとお辞儀をした。瑠璃が、かわいい、と声をあげる。どこがだ、その娘は悪魔だ、鳳月はそう思わず口に出しそうになった。
「うん、よろしくね、真奈ちゃん。真奈ちゃん、このお兄さんに変なことされなかった?」
冗談っぽく笑ってみせながら、瑠璃は鳳月を指差した。真奈は素直に首を横に振った。
「いやですね、瑠璃さん。私は確かに奇人変人ですが、そんなことをするほど人間の道から外れてはいないですよ。子供に興味はありません。まあ、瑠璃さん相手だったらいくらでも変なことしてもいいですけどねぇ、くくくっ」
いつもの調子で鳳月が気味悪く笑いながらからかってみせると、いつも通り瑠璃の顔がみるみるうちに赤くなった。これだから彼女はからかい甲斐がある。
「ば、馬鹿なこと言わないでください! じょ、冗談じゃない!」
「くっくっく、冗談ですよ。いや、本当に瑠璃さんは可愛いなあ」
「か、可愛い!? 冗談言わないでくださいよ!」
「いや、これは冗談ではありませんよ?」
そう、また気味悪く笑いながら言ってやる。タイミング悪く店に入ってきた彼女に、意地悪でもしなければやっていけなかった。瑠璃が、顔を真っ赤にして、鯉のようにぱくぱくと口を動かす姿は、実に滑稽なものであった。
「もう、いつもいつも! そ、そんなんじゃいつになっても恋人なんて出来ませんよ」
「くくっ、恋人なんて別にいりませんよ。ま、いざとなったら瑠璃さんでも口説きましょうか」
わざと顔を近づけてやる。瑠璃がものすごい速さで後ずさりする。いや、もうこれだから彼女をからかうのはやめられないのだ。自分の中にあるドS精神をかきたててくれる。
「謹んでお断り申し上げます! きょ、今日はもう帰ります!」
といい、店の戸に手をかけるが、すぐ手を離し、くるりと方向を変えて鳳月の前に戻ってきた。そして、カバンから一冊の本を取り出した。それは、先日瑠璃に貸した本であった。
「これ、お返ししますね。もう読み終わりましたので。なかなか面白かったです」
そういって鳳月にその本を押し付けると、今度こそ店の戸に手をかけ、出ていってしまった。
乱暴に閉められた戸を見ているうち、笑がこみ上げてきた。鳳月は、右手で本を抱えながら、左手で口をおさえ、くっくっくと笑い出す。
(やっぱり、瑠璃さんは面白いなあ)
くっくっくっくっくっく……はて、いつまで笑っていただろうか。
「ほうちゃん、やっぱりあのお姉ちゃんのこと好きなんじゃん」
ドサッ。鳳月は抱えていた本を落とした。今の今まで、真奈がいることをすっかり忘れていたのだ。ぱっと振り返ると、じと目の真奈が視界に入る。
「そんなことはありません。ただ、からかうのが好きなだけですよ」
「ううん、絶対ほうちゃんは、あのお姉ちゃんのことが好きだよ」
「違います。断じて、そんなことはありません」
「ほうちゃん、本当はさびしがりやさんだもん」
「はあ?」
何故、瑠璃のことが好きかどうかという話から、そういう話にとぶのだろう。
「ほうちゃん、一人でいる時、とっても寂しそうだよ。一人の方がいい、って言っているけど、本当はとってもさびしがりやさんなんだよ。私といる時も、とっても寂しそうな顔してる」
何を言うのだ、鳳月はただ困惑するしかなかった。自分は、一人の方が好きだった。誰かと関わるより、誰かにじろじろ見られるより、一人でいる方がずっとずっと好きだった。
瑠璃にだって、できれば店に来て欲しくないのだ。彼女は、いつも彼の一人きりの時間を邪魔する。あれだけ何度も意地の悪いことをいってからかっているのに、何故懲りずに彼女は店を訪れるのだろうか。それが、鳳月には不思議で仕方なかった。
「でも、瑠璃お姉ちゃんと話している時のほうちゃん、とっても楽しそうだったよ」
「からかうのが楽しいだけです。別に好きとか、そういうことではないんですよ」
「好きな子ほどいじめたくなるって、TVで言っている人がいたよ」
「それとこれとは話は別ですよ」
ああ、もうどういえば分かってもらえるのだろう。鳳月は困ってしまった。
「ほうちゃんって嘘だね。自分に正直になれないんでしょう」
常連、という言葉の意味も知らない娘が何てことをいうのだろう。ふざけたことをいうな、そういってやりたかった。しかし相手は子供だ。あまりきついことを言えば、泣いてしまうかもしれない。子供に泣かれるのは、非常に面倒なことだった。
「ほうちゃんって、お化けみたい」
その言葉に、鳳月は完全に凍りついた。
「なんか、そんな感じがする。何でだろう、よく分からないけど。私、お化け嫌い。だから、お化けのほうちゃんは嫌い」
でも、と真奈が続ける。
「瑠璃おねえちゃんと話していた時のほうちゃんは好き。とっても楽しそうだから」
やがて、真奈の母が、彼女を迎えに来た。いつもありがとうございます、そう言う母親に鳳月は作り物の笑顔を向け「何、構いませんよ」と言う。真奈が、ものすごく不満そうな表情で鳳月を見る。今自分が向けている笑顔が作り物であることに気がついているようだった。全く、なんだってこの娘はこんなに鋭いのだろうか。
「それじゃあね、ほうちゃん。ばいばい」
真奈は母親に手をひかれながら、帰っていった。できれば、二度と来てほしくないものだ。しかし、どうせまた来るのだろう。親戚づきあいなんて面倒だが、仕方のないことだ。
それにしても。
手元にあった本のページをめくりながら、鳳月は苦笑した。
(お化けみたい、か)
彼女の言った言葉。それが、幽霊的な外見を指していっているものではないことくらいは分かっていた。あの妙に鋭い娘は、鳳月の内面を見透かしていたのだ。
本当のことを隠し続け、ふらふらといき続ける彼は、まるで実体をもたない幽霊のようだった。
(あの子は、やっぱり苦手だ。私が一生懸命隠しているものばかり、見つけてしまうから)
しかし、瑠璃のことが好きかどうかについては、自分自身でもよく分からなかった。好きなのかもしれないし、好きでないかもしれなかった。
しかし。仮に瑠璃のことを本当は好きだったとしても、鳳月はその思いを口にするつもりはなかった。人を好きになるつもりは、ない。人に好かれるつもりも、ない。
鳳月は、一生一人で生きていくつもりだった。
(私は、お化けでいい。お化けでなければいけないんだ)
鳳月は、誰かがそこにいるかのように、青白く細い腕を天井に向けて伸ばした。
その指に触れるものは何もない。
鳳月は、寂しそうに笑うと、本を読み始めた。
時々、真奈の言葉の数々を思い出し、深いため息をつきながら。
終わり