五色堂〜藍〜




 7月の18日、私が今住んでいる三ツ葉市で夏祭りが開催される。
 街を北と南に分けるように流れる水瀬川周囲に、多くの屋台が並び、夜になれば川で花火が打ち上げられる。毎年三ツ葉市や、周囲の町の住人たちが来て、大いに盛り上がる祭りだ。
 私も就職するまでは、隣にある桜町にすんでいたのだけど、毎年友人と一緒にここを訪れて、花火や屋台での買い物を楽しんだ。
 今年もきっとたくさんの人がこの祭りに参加するだろう。
 さて、去年は昔からの友人5人と一緒にこのお祭を楽しんだ。今年も一緒に、と思ったのだが……2人は用事があって遊べず、2人は他の友人と一緒に行く事になり、1人はつい最近出来た彼氏と一緒に行くから駄目ということになってしまった。
 別に友人は彼女たちだけではないのだけど、誘うのも面倒なので、まあ1人でも良いかなあってことで、今年は1人で適当に屋台を巡ったり花火を見たりすることに決めた。誰かから誘われればその人と行こうと思ったが、悲しいかな誰にも誘われなかった。他の人と行く人、単純に行くつもりがない人が多いようだ。
 まあ、いいや1人で。ああ、でもやっぱり1人じゃつまらないなあ、誰か良い人いないかな。
 机にひじを突き、買ってきたドーナツを頬張りながら私は一緒にお祭に行ってくれそうな人の顔を思い浮かべようとした。賞味期限切れの近い牛乳の入ったマグカップを手に取り、一口飲む。
 牛乳を飲んだ途端、一人の人物の顔が私の頭に現れて、私は危うく口に入れた牛乳をふきだしそうになってしまった。
 私が思い浮かべた顔というのが五色堂主人、花京院鳳月の不気味に笑う顔だったからだ。
 何であの人の顔が真っ先に思い浮かぶのだ。あの人は恋人でも友人でも親戚でも、なんでもないのに。勘弁してくれ、私の脳みそはおかしくなってしまったのだろうか。あの人は赤の他人だ。あの人に好意を抱いているのならまだ分かるが、私はあの不気味な笑みを浮かべる奇人変人主人に好意なんて抱いていない。絶対にそんなことはない。
 そんなことはないのだが、私は今日もまた彼のやっている店『五色堂』を訪れてしまうのだった。
 体を炭にしてしまいそうな、暑い日ざしが、五色堂を目指して歩く私を襲う。おのれ地球温暖化め、この私を苦しめて何が楽しいのだと心の中で太陽と、地球温暖化を呪いながら、私は足をすすめていく。
 ミンミンミンという蝉の合唱を聞くと、ますます体が暑くなってくるように思える。
 この世に存在する蝉全てを呪いながら歩き続けると、やがて鳳月さんのやっている五色堂へと辿り着いた。店の中に入ると、ミントキャンデーを舐めた時のように、一気に体が冷たくなる(ミントキャンデーを舐めても実際に体温が下がるわけじゃないだろうけど、細かいことはきにしない)。私は生き返った心地がした。
 鳳月さんはいつものように、入り口正面にあるカウンターにいた。相変わらず酷い猫背の鳳月さんは、また何かを食べているようだった。近くに行ってみると、鳳月さんは透明のガラスの器に盛ったカキ氷を食べているのが見えた。雪のように白い、削った氷の山の上には赤いシロップがかかっている。イチゴ味なのだろう。
 私が黙ってその様子を見ていると、しばらくしてようやく鳳月さんが私の存在に気がついたのか、顔をゆっくりあげた。

 「ああ、瑠璃さんですか。こんにちは。今日は暑かったでしょう……顔真っ赤ですよ」

 「滅茶苦茶暑いですよ、ああもうこの店からでたくない」
 本当にそんな気分だった。またあのくそ暑い外に出るのは嫌だった。鳳月さんがにやりと笑う。

 「別にずっといてくださっても構いませんよ? いっそここに一緒に住みますか?」

 「な、なんでそうなるんですか!」
 暑さで真っ赤になった顔が、ますます赤くなった。鳳月さんはその様子を見て、くーくっくっくと実に気味の悪い笑い声をあげて笑い出す。

 「冗談ですよ。どうしてそう瑠璃さんは、人の冗談を素直に受け止めちゃうんですか……まあ、からかいがいがあっていいのですがねぇ。くくくっ。まあ、でもそういうところが可愛いんですよねぇ……くーっくっくっく」
 そういって肩を震わせ、手を震わせ、手に持っているスプーンを震わせて笑い出す。あまり背を丸めて笑っていたものだから、つい勢いがつきすぎてカキ氷に顔を突っ込んでしまった。ざまあみろ、私は心の中であかんべえをしてやった。しかしカキ氷に顔を突っ込んでもなお鳳月さんは笑っている。本当に腹が立つ。そんなにおかしいか、そんなに。
 やがて顔をあげた鳳月さんのその顔は、いつも以上に真っ青になっていた。その真っ青な顔に、赤いシロップと真白な氷をつけている。
 鳳月さんは、カウンターの下にいれてあったらしいタオルで顔をふく。

 「申し訳ございませんねえ、ひひっ。それで、何か御用ですか?」

 「特に用はないですけど。……鳳月さんは、今度ある夏祭りには行くんですか?」
 そういうと、鳳月さんはあからさまに嫌そうな顔を浮かべる。どうみても「行きます」と答えるような顔には見えない。

 「夏祭り……ああ、あれですか。私は行きませんよ」

 「行かないんですか? とても楽しいのに」

 「いやなんですよ、人ごみが。私は、TVでやる花火大会の中継をみていれば十分です」

 「花火をTVで見たって面白くないでしょう? やっぱりああいうのは実際に目で見なくちゃ」

 「私は面白いと思いますよ。少なくとも、人ごみに埋もれて苦しい思いをしながら見るよりはね」

 「鳳月さんって人嫌い?」

 「好きではないです」
 確かに、あまり人付き合いが得意そうな顔には見えない。自ら人との交流を断ちそうなタイプだ。キノコの生えそうなじめじめとした家の中で一人、生きているのが申し訳ないという風に背を丸め、小さくなっているタイプに違いない。
 鳳月さんが、ゆっくりと立ち上がる。

 「瑠璃さんはどうやらその祭りに行くようですねぇ……。そうだ、せっかくですからあれを差し上げましょう」
 ぽん、と鳳月さんが手を叩く。あれ?あれとは何だ、と私は首を傾げた。何かよいものでもくれるのだろうか。それとも、ろくでもないものをくれるのだろうか。
 鳳月さんは、また店の奥にある、自分が普段寝起きしている「家」の方へと消えていく。
 私は、また何かをとりにいったのかと思いながら、店の中を適当に回っていた。色とりどりの風鈴が吊るされていた。金魚の絵や、向日葵の絵が描かれた可愛らしいもの、金魚鉢をひっくり返したような形をしたもの、綺麗な模様の描かれたもの。様々な種類のものがあるから、見ているだけで楽しい。
 やがて、鳳月さんが戻ってきて、私の後ろに立った。私が振り向いてみると、鳳月さんは綺麗な藍色の布を手に持っていた。みたところ、浴衣らしい。その浴衣には、白や赤、橙、黄色の小さく可憐な花が咲き誇っている。

 「すごい。綺麗な浴衣ですね。これ、売り物じゃないみたいですけど……」
 
 「ああ。先日、私の姉が遊びに来た時に置いていったんですよ。もういらないから、安い値段で店で売るなり、煮るなり焼くなりしてちょうだいって言って。正直、いきなりぽんと置かれても困るんですけどね」
 そういって、鳳月さんははぁとため息をついた。
 鳳月さんってお姉さんがいるんだ。どんな人かしら。鳳月さんとは違って、いたって普通の人かしら。それとも、鳳月さんと同じ変わり者なのだろうか。
 私は、眼鏡をかけた女性が魔女の衣装を着て、蝋燭をもってけけけけと笑っている様子を思い浮かべた。うわ、ありえるかも。私は必死で笑いをこらえる、いかんいかん、あまりにこれは失礼すぎる。

 「鳳月さん、お姉さんがいたんですね。どんなお姉さんなんですか」

 「どんなって……いたって普通の人だと思いますけど。皆さんはとても綺麗な人だといっていますがねぇ。そこそこ売れているモデルらしいですけど、よく分かりませんね。私はそういうことには疎いものでして」
 確かに、疎そうだ。逆に鳳月さんが、今売れっ子のモデルさんに滅茶苦茶詳しかったら……なんていうか、反応に困る。しかし、モデルさんをやっているということはお姉さんは「鳳月さんとは違って」見目麗しい人なのだろう。一度見てみたいものだ。

 「それで、その浴衣、どうするんですか」

 「ですから、差し上げると申し上げたじゃないですか。本当にどうしようか困っていたところなのですよ。多分瑠璃さんでも着ることができると思いますよ、姉さんの方が背が高いので、多少丈が長いかもしれませんが、まあ大丈夫だと思いますよ。もし合わないようでしたら、私が直して差し上げます」

 「鳳月さん、裁縫とかできるんですか? なんかまち針とか着物にさしっぱなしにしたり、ものすごく縫い目がぐちゃぐちゃになったりしそうなんですけど」

 「私だって、裁縫ぐらいはできますよ。結構ああいうちまちました作業って好きなんですねぇ、ふふふ」
 そういって鳳月さんはくっくっくと笑う。手にもっている綺麗な藍色の浴衣が一緒に揺れる。
 私は、鳳月さんが夜なべして手袋を編んでいる姿を何故か連想してしまい、危うく吹きだしそうになってしまった。

 「ささ、どうぞこれを着てお祭に行ってきてください。これ結構高級品なんですよ」

 「そうおっしゃられましても……」
 いきなり、あげるといわれても、なんというか、困る。何故私は友人でも恋人でもない人から、お姉さんから貰ったという浴衣を渡されようとしているのだろう。

 「遠慮しなくてもいいんですよ? 絶対似合いますよ、もしよければ今この場で着てみますか?」

 「この場って、ここでですか!? 生着替えですか! 変態ですか、鳳月さんは!」

「いや、店の奥でですよ。カウンターの後ろの部屋だと見えちゃいますけど、他の部屋でしたら誰にも見えずに着替えられますよ。ああ、もちろん私は覗きませんよ。私は変人ですが変態ではありませんからねぇ」
 自覚あるのか、変人だという自覚は一応あるのか。しかし、鳳月さんが変態属性のない変人だったとしても、やっぱり男の人しかいないところで着替えるのは厳しい。

 「瑠璃さんってば、もしかしてここで着替えると思ったんですか。いくら私でもそんなこといいませんって。全く、瑠璃さんったらいやらしいですねぇ、くくくっ」
 何だろう。私はこの店に来るたびに、必ず一回はこの変人店主に殺意を抱いている気がする。あれ、なんで私右手をぎゅっと握り締めているんだろう。あれ、手が震えている。いやだなあ、頑張れ私、耐えろ私。ここで殴ったら負けだ。

 「まあ、着替えても着替えなくてもよいですけど。大体一人で着るのは少し難しいでしょうし。ふふ、こんなに立派な藍染めの浴衣を、ただで手に入れることのできる機会なんて滅多にありませんよ」

 「まあ、確かにすごく綺麗な色をしていますけど。夏祭りとかにいくと、よく見かける色ですよね、藍色とか……青系統の色」

 「そうですねぇ。藍色を初めとした青系統の色というものは、昔から日本人に愛されていた色ですからね。明治八年に来日したアトキンソンという英国人科学者は、日本の美しい藍色を『ジャパン・ブルー』と呼んだそうです。ふふ、なかなかしゃれた呼び方じゃありませんか」

 「また『ヒロシゲ・ブルー』とも呼ばれていたようですね。ほら、有名な浮世絵師の歌川広重っているでしょう? あの人の作品は、日本人にだけでなく、外国人にも愛されていたのですよ。あの人の描く絵に使われている藍色の美しさは高く評価されたそうです。日本の誇る藍色は、世界も認めるものだったってことなんでしょうね」
 そういって鳳月さんは笑って、私が抱えている浴衣を指で優しくなぞった。

 「布を藍色に染める藍染め。その藍染めによく利用されていた植物が、タデアイといいます」
 鳳月さんは、くるりと私に背を向けて、自分の部屋へと向かったようだった。がさごそという音が微かに聞こえる。ほどなくして帰ってきた鳳月さんは、緑色の表紙の植物図鑑、もう一冊はおそらく以前見せてもらった色名図鑑らしきものを抱えていた。
 手馴れた手つきで本を開き、鳳月さんは、開いたところを私に見せてくれた。
 タデアイは、細い緑の枝の先にやや桃色がかった米粒のような小さな花がたくさんついている。まるで稲穂のようだ。葉っぱはやや長い楕円形のような形をしている。

 「この葉を、じっくりと発酵させるんです。発酵させたものは『すくも』と呼ばれます。これを使って布を染めるんです。甕の中でまあ色々手を加えて染色できる状態にするんですよ。どうしていくかは忘れましたが。灰汁をいれたりするんでしたっけね。……この甕の中に布をいれて、布をもみながら染色するんです。しばらくしたら、布を甕からだして軽く絞った後、布を広げるんです。ただ甕の中につっこんだだけでは、青にはならないんです。空気に触れさせて、酸化させることで、青くなるんです。そのあと、水の中に布をいれて、やっぱり水中の酸素と触れさせてさらに酸化させるのです」
 そういえばTVでそういう場面をみたことがあるようなきがする。興味がなかったので、あまりじっくりとは見ていなかったけれど。

 「一回やっただけでは、あまりそこまで濃い藍色にはならないのです。納得いく色になるまで、何回も何回も同じことを繰り返していくんです。それで、いい色になったところで水でよくすすいで、酢水に入れて色止め。まあ、大体こんな流れです。……まあ、染色方法はこれ一つではないのですが」

 「へぇ……」

 「甕に布をいれる回数によって、色は変わっていきます。その色一つ一つに名前がちゃんとついているんですよ。一回甕に入れただけのものは、瓶覗きと呼ばれています」
 鳳月さんが広げたのは色名図鑑。鳳月さんが指差した色は、藍色とは程遠い色だった。藍色よりは水色に近い。よく晴れた空の色のような色だった。

 「藍色には見えないですね」

 「ええ。これでも一応藍色系統なんですよ。初めてみたときは、信じられなかったですけどね。水がめに映った空の色の色ってことで瓶覗きと名づけられたという説もあるそうですね、この色の由来には」

 「瓶覗きのあとは、どんな色になるんですか?」

 「水浅葱、浅葱、縹、藍……。そのほかにも、薄縹、水縹、薄藍、納戸、紺、留紺などなど。藍色、紺色系統だけでも色々な種類があります」
 そういって次々と鳳月さんは色名図鑑に載っているものを指差していった。どの色も美しく、非常に落ち着いている印象がある。

 「それに、藍染めの着物は体にも優しいんですよ。防虫効果や消臭効果、皮膚アレルギーの抑制効果、保湿に放熱の効果などがあるそうです。ただ綺麗なだけでなくって健康にもいいなんて……本当に、すばらしいのですよ、藍染めっていうのは」

 「へぇ……。やっぱり自然のものって体にもいいんですね」

 「余計なものがはいってませんからねぇ。ふふ、それにしても何回みても美しい。……江戸時代、贅沢を禁止されて色々なことができなかった庶民にとっては、美しい藍染めの着物って魅力的なものに見えていたんでしょうね」
 私は、自分が抱えている浴衣をじっと見つめた。見るだけで涼しくなれる、暗い夜空の色みたいだとおもった。これを着て、ベランダにでてうちわを扇ぎつつ、ぼんやり月を眺めたり、川のほとりで夜空を鮮やかに飾る花火をみたりするのも悪くないかなと思った。
 まあ、鳳月さんの場合「その浴衣やるからかわりに何かくれ」とかそんな滅茶苦茶なことはいわないし、ありがたくいただくとするかな。

 「これ……もらっていいんですよね」
 そう私が言うと、鳳月さんが嬉しそうににこりと(というよりにやりと)微笑んだ。

 「ええ、もちろんですよ」

 「お金もとりませんよね」

 「瑠璃さんみたいな庶民から、大金を巻き上げるつもりは毛頭ございませんよ、くくくっ」
 ……今すぐこの浴衣で鼻と口をふさいで窒息させたろか。ああ、そんなことしたら浴衣がもったいないか。ちっ。
 しかし大金って……やっぱりまともに買ったら滅茶苦茶高いのかしら。少し聞いてみたい気もするけど、怖いからやめておこう。

 「そのまま持って帰るのも大変でしょうから、箱につめて紙袋の中に入れて差し上げましょう。……それとも、ここで着てしまいますか? もしよろしければ私が着せて差し上げますよ、ひひひっ」
 鳳月さんが不気味に笑って見せた。私は全力で後ずさりした。……そしてバランスを崩してしりもちをついてしまった。痛い、こんなに痛いおもいをしたのは久しぶりだ。
 鳳月さんは、そんな私に手を差し伸べない。右手を口に、左手を腹に当てて大笑いを始めている。肩が小刻みに動いている。しまいにしゃがみこみ、涙まで流しだす。

 「冗談なのに……ひひ……本当、なんでこう毎回毎回……くくく……ああ、だめだ、笑いすぎて死んでしまいそう……ひひひっ」
 くたばってしまえ、今すぐ。私は心の底から鳳月さんの不幸を願った。
 私はゆっくりと立ち上がり、そんな死に掛けの蚊のような状態になっている鳳月さんを無視して店をでた。浴衣のお礼?そんなのくそくらえ、まあ気が向いたら改めて御礼をいうとしようか。
 本当は浴衣をしまう箱と、もって帰るための紙袋が欲しかったが、今更店に戻るわけにもいかないだろう。結局軽くたたんで両手に抱え込むことにした。そういえば、帯とかはもらってないけど……まあ確か家にあった気がするし、いいとするか。
 私は、美しい藍染めの浴衣を着て夏祭りに行く自分の姿を思い浮かべながら、家へと向かう。蝉の大合唱が相変わらず五月蝿かったが、浴衣を見ると少しだけその暑苦しい歌声を忘れることが出来た。