五色堂〜翡翠色〜




 「うわあ、これすっごく綺麗……」
 私が、目を輝かせてみているものは、天然の翡翠だ。しかも、その翡翠の中でも最高級品といわれる「ろうかん翡翠」というものだった。
 その翡翠が今、鳳月さんの青白い手のひらに一粒のっていた。それは、滑らかな曲線を描いた楕円形で、ぷくっと膨らんでいる。
 本当に、言葉では言い表すことができないくらい美しい。まぶしい日の光を浴びて輝く新緑の若葉のようだといえばいいのだろうか。一点の穢れもない、深い緑色の石だ。
 これはいくらしたんですか、と鳳月さんに聞いたら、鳳月さんに「きっと貴方の月給より高い」と言われた。なるほど、流石質のいい宝石は高い。

 「やっぱり高いんですねぇ……ものすごく綺麗なのに。ああ、もっとお金があれば買ったかもしれないのに。いいなあ、鳳月さんよくこんなものほいほい買えますね」

 「いやぁ……こう見えてもお金は持っているんですよ……ふふ」

 「うわ、やらしい。……やっぱり鳳月さんっていいところのお坊ちゃま? 苗字も名前もなんだか立派なものだから、さる名家の息子さんってイメージがあるんですけど」
 まあ、外見や振る舞いはどうみても名家の息子には見えないのだが。
 鳳月さんは、困ったような表情を浮かべた。あまりいいたくないようだ。

 「まあ、そこそこの家の生まれではありますがねぇ……まあいいじゃないですか、私のことなど。そんなこと知っても何の役にも立ちませんよ……役に立たないことを聞いたって楽しくないでしょう」
 そういいながら、鳳月さんは手のひらに乗せている翡翠をそうっとなぞった。なるほど、確かに鳳月さんの生まれがどこであるのかなど聞いたところで、得などしない。鳳月さんが恋人なら別かもしれないが、あくまで私と鳳月さんは赤の他人。店主と客。恋人でもなければ、友人でもない。そんな人のことなんて聞いてもしょうがない。
 私は、それ以上追及するのはやめて、青白い肌の上にちょこんと乗っている鮮やかな緑色の翡翠をじっくりと眺めていた。

 「本当に翡翠って綺麗ですよね。とても温かみのある色をしていて、結構好きだなあ」

 「翡翠はこの緑系の色のほかにも、黒いものや黄色いもの、桃色のものなどがあるらしいですよ。私たちの場合、翡翠といわれるとどうしてもこの色しかイメージできないのですがね。まあ同じ緑系でも、こちらのように濃い緑の場合もあれば、薄く柔らかい緑と二種類ありますけどね」

 「へえ……桃色のヒスイとか今度見てみたいな」

 「翡翠には、ジェダイトとネフライトの二種類があるそうです。ジェダイトが硬玉、ネフライトが軟玉。現在宝石として扱われているのはジェダイトの方だとか。中国では、ネフライトの方が愛されていたようですが」
 と、鳳月さんは私の「桃色の翡翠をみてみたいな」という言葉を無視して話を続ける。無視をしているのか、ただ人の話を聞いていないだけなのかはよくわからない。なんとなく、後者の気がする。
 ジェダイトとネフライト、どこかで聞いたことある名前だなと思った。そういえば昔見たアニメの敵役にそんな名前の奴がいたようなきがする。

 「翡翠は古くから霊的な力を持つ不思議な石とされていました。日本は翡翠で勾玉をつくっていましたし、中国では玉(ぎょく)と呼ばれ、これをもつことで仁・義・智・勇・信の5つの徳が備わるとされました。生命と不死の象徴でもあり、霊界と現世を繋ぐ石ということで儀式に用いたり、死者と共に埋葬したりすることもあったそうです」

 「それじゃあ、翡翠ってとても神秘的な石なんですね。よくパワーストーンって言葉を聞くけれど、翡翠もやっぱりその一種なんですか」

 「ええ。魔よけにもなりますし、人生の成功を守護したり、潜在能力を高めたりする力もあるそうです」

 「へぇ……。そういえば、翡翠色って聞いたことがあるけど……やっぱりこの翡翠の色からとったんですか?」
 と、私が色の話題に移ったとたん、鳳月さんの死んだような目が不気味に輝いた。まるで、化石になっていたシーラカンスが水を得て再び動き出したようだった(実際化石のシーラカンスに水を与えたところで生き返るわけは無いんだけど、まあ言葉のあやってことで)。
 鳳月さんの口元が緩み、肩がかたかたと揺れだした。何回も見て、少しずつ慣れてきたとはいえ、やはりこの笑い方は気味が悪くて直視できない。

 「そうですね。翡翠色は、青みがかった緑です。明るいといえば明るい、暗いといえば暗い。……こういう色です」
 カウンターの中に入れてあったらしい色見本表をとりだし、鳳月さんは下に「翡翠色」と書かれている色を指差した。
 緑と水色を混ぜたような色は、確かにやや暗い色をした翡翠と同じだった。

 「外国ではジェードグリーンと呼ばれています。英語で硬玉・軟玉・碧玉などを総称してJade(ジェイド)というらしいので、まあそれが名前の由来でしょうね」

 「ふむ、なるほど」
 なんと返事を返せばいいのか分からなかったので、私は曖昧な返事をした。
 鳳月さんがにやりと笑う。

 「そういえば瑠璃さん。カワセミってどういう漢字で書くか知っていますか?」

 「はあ?」
 私は思わず間抜けな返答をしてしまった。今は翡翠の話をしているっていうのに、何で急に話題がカワセミになるのだ。カワセミがどうだっていうのだ。翡翠と関係あるのだろうか。

 「カワセミ……小川の川にミンミン鳴く蝉っていう字じゃないんですか?」

 「まあ、その字でも書くんですけどねぇ」

 「もしかして」
 何故翡翠の話をしている時にカワセミの話がでてくるのか、ようやく分かってきた私が驚いたような声をあげると、鳳月さんがにこりと笑う。

 「ええ、翡翠という字を書くんです。カワセミは」
 それには驚いた。でも何故翡翠と書くのだろう。
 鳳月さんがにやりと笑って、カウンターの下から一枚の写真をとりだした。写真に写っているのは一羽の鳥だった。おそらくカワセミだろう。全く、準備がいい。ちゃっかりこんなものを用意しちゃって。
 カワセミは、スズメとそんなに変わらないくらいの大きさのようだ。やや頭でっかちで、足は短い。黒いくちばし。目の周りと、腹の部分は橙色で、羽などはうっとりするほど鮮やかな緑、そして水色。穢れのない水面に映る葉のような色をしている。

 「綺麗でしょう、とても。翡がオス、翠がメスを指しているという説、翡が紅い羽根、翠が青い羽を指している説があるらしいです。宝石の翡翠は、このカワセミの美しい体の色に似ていることから、彼らと同じ名前をつけられたのです。本当、生きている宝石ですね」
 そういって、鳳月さんは写真に写るカワセミをじっと見る。確かに、羽の色は宝石のようで、美しい。いつか実物をこの眼でみてみたいものだ。

 「ああ、ただ翡翠という言葉は日本でできたものではなく、中国でできたものらしいですね。昔の日本では翡翠……玉は『たま』と呼び、カワセミのことは『しょうびん』と呼んでいたらしいです」
 
 さて、また翡翠に関する物語を語りましょうか……(以下創作物語
 
 これは、日本のとある村に伝わる物語です。
 昔あるところに、弥平という男がおりました。弥平は心優しく、また正直者で、村人に好かれておりました。弥平の家は非常に貧しく、毎日を生きていくのは大変なことではありましたが、それでも弥平は笑顔を絶やすことなく、毎日が楽しくてしょうがないという風でした。……まあ昔話にでてくる典型的な善人の主人公ですね。
 ある日弥平が、魚を釣ろうと村のはずれにある川へ行った時のこと。弥平は、川の中に一匹のカワセミがいるのをみつけました。そのカワセミは非常に美しい羽の色をしていました。
 これは綺麗なカワセミだ、と弥平はカワセミに近づきました。最初はにこにこと笑いながらカワセミを見ていた弥平でしたが、その表情が次第に凍りついていきました。
 そのカワセミが怪我をしていることに気がついたからです。羽を怪我したカワセミは川の中からでることもかなわず、ぐったりとしておりました。
 弥平は急いでそのカワセミをすくいあげ、家へと連れて帰りました。
 カワセミの羽の傷は酷いものでしたが、どうにか治りそうではありました。弥平は、カワセミの怪我が治るまで看病してやろうと思いました。
 弥平は、毎日カワセミのために魚やら虫やらをとってきては与え、とってきては与えを繰り返しました。怪我の治療も自分でできる範囲でしてやりました。
 弥平が必死で看病してやったおかげで、カワセミは少しずつ元気になっていきました。カワセミはすっかり弥平に心を許し、元気がある時は弥平に甘えたり、可愛らしい声で鳴いてみせたり、そこらをちょんちょんと動き回るようになりました。
 弥平は、カワセミをわが子のように、あるいは恋人のように大切にしました。

 ある夜のことでございました。
 村一番の嫌われ者である男が弥平の元へやってきて、弥平の貴重な食料をほぼ全て奪っていってしまいました。どうやら、自分の好いている娘が、弥平のことを想っていることをしって腹をたて、このような行動にでたようです。男はこれまた意地の悪い村長の息子でしたので、弥平は文句をいうことができませんでした。
 かわいそうな弥平。彼はどうにかして食料を調達しようとしましたが、そのたびに男に邪魔をされてしまいました。他の村人達は、弥平の事を気の毒だとは思うのですが救いの手を差し伸べれば、自分たちも意地悪村長と息子に何かされるに決まっていると思い、誰も助けようとはしなかったそうです。まあいじめと同じですよね。皆自分の身が可愛いから、見てみぬふりをする。
 ……弥平は日に日にやせ細っていき、いつ倒れてもおかしくないような状態になってしまいました。
 弥平はそれでも笑っていました。カワセミを優しく撫でて、お前さえいればええ、といったそうです。
 カワセミは、自分の命の恩人である男を死なせたくはないと思いました
 そして、カワセミはある日の夜、弥平が眠りについたのを見計らって、こっそり外へとでていきました。
 村の近くにある山の奥にある、大きく立派な木まで飛んでいきました。傷口が広がって、羽を赤く染めました。本当は飛ぶなんてまだ無理な身体でした。それでもカワセミは飛び続けました。
 やっとの思いで、その山の中でも一番大きく立派な木の前にたどり着くと、カワセミはいいました。

 「山神様、山神様。どうか私の願いを聞いてください。私は、怪我して飛べなくなっていたところを一人の人間に助けられました。その方はとても優しい人で、この私を介抱してくださいました。でも、その方は悪い人間にいじめられて、今にも死にそうになっているのです。あの方はこのままでは飢えて死んでしまいます。私は、自分が死んでしまうことより、あの方が死んでしまう方がずっとずっと辛いのです。山神様、私の身体を玉に変えて、あの方の家においてやってください。玉になった私を売れば、きっとあの方は多くの富を得て、幸せな暮らしを送ることができるに違いありません」
 カワセミは、羽を襲う痛みに泣きそうになりながら、一生懸命その木に宿っている山神様にお願いをしました。
 カワセミは山神様を称える唄を歌いました。力を込めて歌いました。
 すると、やがてその木の葉が風もないのにぐわんぐわんと揺れました。さらに地面を震わせるくらい低い声が聞こえてきました。

 『よかろう、お前の願い確かに聞き入れた』
 その言葉を聴いた瞬間、カワセミは自分の体から力が抜けていくのを感じました。そして、その場にこてっと倒れ、それっきり動かなくなってしまいました。
 すると、死んだカワセミの身体がまばゆい翡翠色の光を発しました。
 カワセミは姿を変え、やがてそれはそれは美しい、カワセミの羽の色をした翡翠の勾玉になりました。気のせいか、ところどころ赤っぽい色が見えます。それは、カワセミの流した血の色でした。
 
 そして、朝になりました。
 弥平が目を覚ますと、昨日まで一緒にいたカワセミの姿が見当たりませんでした。弥平は必死になって家中を探し回りましたが、カワセミは見つかりませんでした。
 ふと、弥平が囲炉裏をみてみると、灰の中に何か緑色に輝く物体が埋まっているのを見つけました。弥平はそれを取り出してみました。
 それは、とても美しい色の翡翠でした。
 弥平は、どうしてこんな素晴しい色をした翡翠が囲炉裏の中にあるのだろうと首を傾げました。
 しばらく考え込んだ後、弥平はその翡翠の色が自分が可愛がっていたカワセミの羽の色と同じだということに気がつきました。弥平の、翡翠を持つ手が震えました。

 まさか、まさか、あのカワセミが私のために翡翠に姿を変えたのではないか。この色、あのカワセミの羽の色と同じだ。あのこと同じようにとても優しい色で、温かい。
 弥平は、そのことに気がつくと、大きな声をあげて泣きだしました。その翡翠の勾玉をぎゅっと握り締め、大きな声でずっとずっと泣きつづけました……。

 「とまあ、こういうお話ですよ」

 「結局その弥平って人は、その翡翠の勾玉を売ったんですか?」
 と私が聞くと、鳳月さんが曖昧な笑みを返す。そこまでは分からないようだ。

 「カワセミの思いを無駄にするわけにはいかない、といってその翡翠を売り、富を得て幸せに暮らしたという説、自分にとって一番大切な存在になっていたカワセミが変じた姿である翡翠の勾玉を手放したくないといって、その翡翠の勾玉を売らず、結果的に餓死したという説、翡翠の勾玉を売らずに手元においていたところ、その翡翠の力なのか、次々といいことが舞い込んできて、死ぬまで幸せに暮らしたという説など、色々ありますが、よくわかりません」
 
 「……自らの幸福のために大切なものを手放すか、大切なもののために自分の人生を手放すか。どちらの方がいいのでしょうねぇ……瑠璃さんが弥平だったら、どうします?」
 鳳月さんのギラギラ輝く目が、私をとらえた。私は、うんうん唸って考え込んだ。そう簡単に死にたくはないし、かといって大切なものが自分の目の前から消えてしまうのも耐えられないし。でも大切なもののために死んでしまうのも、ちょっと嫌だなと思う。
 私は鳳月さんに聞き返した。鳳月さんはどうなんですか、と。
 鳳月さんは、少し困ったような顔をして、少しの間俯いた。一体鳳月さんがどんな表情を浮かべているかは分からない。だらしなく伸びた髪の毛が彼の顔を隠しているからだ。
 しばらく私が返答をまってじっとしていると、やがていつもの不気味な笑い声が聞こえてきた。ひっひっひという笑い声にあわせて肩が小刻みに揺れる。しまいに細い手で口を覆いながら大きな声で笑い出した。

 「私は、大切なものなんてもっていないですからね……全然分かりませんよ、ひひひ。まあ、大切なものができたら、考えますよ。ひっひっひ……ああ、おかしいなあ、ひひひひ……くくくっ」
 ……この人の笑いどころがいまいち分からない。おかしいなあ、って何も可笑しな事は聞いていないでしょうが。
 結局鳳月さんはそのまま延々と笑い続けていた。あさっての方向に目をやり、口元を思いっきり吊り上げ、途中で何回も咳き込みながら、ずっと笑っていた。
 私は冷たいものを食べたわけでもないのに身体が冷えていくのを感じた。私は、鳳月さんのことは放っておいて、カウンターの上に置かれた翡翠をじっと見つめていた。
 弥平が看病していたカワセミの羽の色も、こんな感じの色をしていたのだろうか。
 私は、翡翠の勾玉を思い浮かべた。

 「勾玉の形って、見ようによっては鳥に見えるわ」
 鳳月さんが、こちらに視線を向けた。

 「きっと、物語の中にでてきた勾玉は、弥平さんのまわりをちょこちょこ動き回ったり、愛らしく歌ったりしていたカワセミの姿のようだったんでしょうね」

 私のその言葉に、鳳月さんがそうですねぇ……そうだといいですねぇ……と翡翠を手に取りながらつぶやくのだった。