どん、がらがらどんっという派手で情けない音と共に、今日もここ、桜村の長のヘタレ息子である弥作(やさく)が、神聖な社から蹴飛ばされ、惨めに転がっていった。
 彼を蹴飛ばしたのは、村で一番美しく、気高く、賢く……強く、乱暴にして凶暴な巫女、桜であった。
 痛みに悶え、ぴくぴく体を震わせる弥作を、桜はまるで汚い塵でも見るかのような目で見下していた。彼女に仕える者、他の巫女達は、またかといった様子でその見慣れた光景を眺めていた。
 やがてようやっと起き上がった弥作が、桜をぎっと睨んだ。しかし、桜は微動だにしない。

 「桜! てめえいい加減にしろよ!? この俺様が、こんなにも激しく愛してやっているのに!」

 「黙れ、この腐れ外道めが! 私は神に仕える者。貴様には髪の毛一本触れさせはしない。この体も魂も、全て神のものだからな」
 顔にかかった、光に当たれば七色に輝く美しい黒髪を、桜は面倒くさそうに手で払いながらそう言った。
 『体も魂も神のもの』普通の人がいえば素晴らしい言葉なのだが、彼女が言うと何故か酷く胡散臭く聞こえる。

 「ふざけんな! 神なんているわけねえだろう!? そんないない者に、体と魂を捧げるなんてもったいない。その悩ましげな黒髪、口付ければ赤くなりそうな白い肌、手で覆い切れないような大きな胸、この俺様に全部捧げて……」
 穢れなき巫女の前で卑猥な言葉を吐き続け、体をくねくねさせていたヘタレ息子の髪を、桜の矢がかすった。見れば、いつのまにか桜は神木で作った愛用の弓を手にしていた。
 弥作の動きがぴたりと止まった。狙いがそれていれば、彼は今頃頭を射抜かれて死んでいたところであった。

 「貴様が卑猥の神様になったら考えてやってもいいぞ? まあ、貴様ごとき下等生物が、神になれるわけがないがな!」
 そう桜が言い放つと、弥作の顔が赤くなり、そしてやがて、おぼえていろーだの、今度こそお前をーとか、そんなことを言いながら、すたこらさっさと走っていった。もとい、逃げていった。
 桜は舌をぺろっと出すと、くるりと向きを変え、社の中へと入っていった。
 そして、弥作に触れられた手を、それはそれは丁寧に清めたのだった。

 「桜。貴方また村長の馬鹿息子をぼこぼこにしたんですって?」
 暖かい日の照る縁側に、桜と一人の娘が座っていた。庭には一本の桜の木があり、桃色の花びらが舞っていた。
 むすっとした顔の桜に茶を出す娘は、桜の幼馴染で、今は桜の身の回りの世話をしている。名を、いよ、といった。

 「あの馬鹿も、いい加減諦めればいいのにな。ああ、触られた手からまだ変な臭いがする、忌々しい!」

 「まったく。貴方くらいよ。あの馬鹿息子に手をあげる人間は。普通の人間なら、今頃酷い目にあわされているわよ。あの狸村長、息子には弱いんだから」
 狸と呼ばれる桜村の長は、馬鹿息子に非があろうが何であろうが、馬鹿息子に手をあげる人間を許さなかった。
 例外といえば、桜くらいのものだった。桜は、その類まれなる力で村を幾度となく救ってきた。村人たちには村長以上に慕われていた。そのためか、村長は桜に頭が上がらないのだった。

 「ふん。どうでもいい。いざとなったら、射殺してくれる」

 「勘弁してよね。全く、貴方神に仕える神聖な巫女なんじゃなかったの? それが、射殺すだなんてそんな不穏当な発言を……。貴方、本当に神のことを信じているの? 本当に神に仕える気があるの? なんだか、貴方が『神』と言うと、胡散臭く聞こえるのだけれど」
 いよが言うと、桜がくすりと笑った。桜の花も負けるほど、可憐な笑みだった。

 「信じているよ。そして、感謝しているのだ。神は、あの日私にこの巨大な力を授けてくださったのだ。……そして、私の人生は大きく変わった」
 そう、丁度今と同じ位の時期……桜の咲く季節にな、という言葉を付け加えて桜は庭に立ち、くるりと回った。
 桜の花びらをまとって舞う桜は、本当に美しかった。また、神々しい。彼女は、この世界の人間が気軽に触れていい存在ではないのだ。
 少なくとも、今は。

 昔は、ただの娘だったのに。

 「私は、あの日私の前に現れた神のことを今でも想っているんだよ」
 そういって笑う、桜。

 しかし、いよは知っていた。『神』のことを語る彼女の笑みには、いつも陰があることを。彼女は、本当にその神様とやらに感謝しているのだろうか。

 「桜を見るたびに、思い出すんだ。私は、あの神様のことを」
 
 桜は、昔はただの娘であった。霊能力者の家系に生まれながら、何の力も持たず、家族にも、村の者にも馬鹿にされてきた。弥作も、桜のことを執拗に虐めていた。また、今のように美しくもなかった。平凡で、無能で、そのくせ気だけは強く、それゆえ友人も少なかった。
 酷い世界だと思った。色のない、暖かさもない、いるだけで体が芯まで冷えてしまいそうな世界だと思った。
 いっそ壊してやりたいと思った。自分に力があれば、こんな世界壊してやるのに。桜は、嫌がらせに耐え、歯を食いしばりながら思った。
 神様など、いるわけない。いたとしても、それはとても汚らしく、意地悪いものなのだ、そう桜は思っていた。
 『神様』に出会うまでは。

 (私は、神に感謝している)
 桜は、桜の花を見るたびに、その神様のことを思い出す。

 ---ねえ、僕は神様なんだよ。力が欲しいかい?欲しいのなら、ついておいで。君に力をあげる。力があればね、なんだってできるんだよ。今まで君のことをばかにしていた人達を見返すことができるんだよ---

 むせるほど濃く甘い匂い、吹雪のように、はらはらと舞う桜の花。
 銀色の髪の少年が、その桜の花びらの嵐の中に立っていた。
 この世のものではないことは、力を持たない桜にもひと目で分かった。人ではない。人ではないのなら、それは神様なのだろう。妖怪などという、下等で汚らわしいものとは違う。
 体の震えがとまらなかった。美しい。なんと、美しいのだろう。

 少年……神様の笑みは、桜の体を凍らせ、温め、痺れさせ、蕩けさせた。
 桜はついていった。足音も立てず、ふわふわと羽のように歩く神様の後ろを。

 酷く冷たくて、白くて何もない、まるで雪のようだった世界に、日が当たり始め、色がつき始めていった。
 
 ---僕は、君が好きだよ。だから、君に力をあげるんだよ。だから、君も僕のことを嫌いにならないでおくれ---
 うん、うん、絶対にならない。私は貴方のこと、ずっと想っています。桜は、甘い笑みを浮かべる神様に、何度も何度もそう言った。

 そして神様は、桜をとある場所に連れて行った。
 神様と桜だけが知る、秘密の場所。

 それからほどなくして、桜は巨大な力を手に入れた。
 魔を滅し、雨を呼び、傷を癒し、病を治す霊的な力を。それと同時に、彼女は美しくなった。触れるのさえおこがましいと思ってしまう位に。
 気の強い性格だけは、いつになっても変わらなかったが。

 彼女の人生は、一気に明るいものに変わった。
 今まで自分のことを馬鹿にしていた周りの人々が、自分にぺこぺこするようになった。何かと自分のことを頼りにやってくるようになった。
 壊したくなるほど憎んでいた世界。ある意味では、その世界は力を手にしたのと同時に壊れたのかもしれない。

 桜様、桜様、桜様。

 力は、桜の人生を大きく変えた。

 「私は、感謝しているんだ」
 まるで、自分に言い聞かせるようにつぶやく桜を、いよは心配そうな目で見つめていた。
 いよには、どうしても桜が喜んでいるようには見えなかったからだ。

 貴方は、本当に満足しているの?幸せなの?

 そう、聞きたかった。
 確かに桜の人生は、大きく変わった。力を得たことで彼女は、村人たちから慕われ、愛されるようになった。
 力を持たなかったというだけで、まるで人間ではないような扱いを受けてきた桜。

 (今だって、同じじゃない。昔と、同じじゃない)
 結局、今だってそうなのだ。彼女を一人の女の子として、人間の女の子として見てくれる者はほとんどいない。皆、彼女を神聖な、神に近しい存在として見ているのだ。
 それが、本当に彼女にとって幸せなのだろうか。
 人として生きられない、その事実は本当に幸せなことなのだろうか。

 「桜、貴方……幸せ?」
 ぽつりとつぶやくいよを、桜はじっと見つめた。
 
 桜の花の吹雪が、桜の体を隠す。
 
 ---桜、桜。僕のことを忘れちゃだめだよ。僕のこと、ずっと思っていてね……---

 桜の花びらだらけになった桜は、にこりと微笑んだ。
 いよの体を凍らせ、暖め、痺れさせ、蕩けさせる笑みを。

 もう、手の届かない場所にいる親友は、一言言った。

 「幸せだよ」