酒呑紅葉



 昔々の話です。
 桜村に、紅葉(くれは)という名の娘がおりました。紅葉は、黙っていれば実に女らしく美しい娘でありました。しかし、中身は凶悪でがさつで短気。男よりも男らしい娘でありました。
 また紅葉は大変な酒豪でありました。どれだけ強い酒を飲んでも、決して潰れることはありませんでした。その気になれば朝から晩までお酒を飲み続けることができる、と豪語しておりました。
 ある春の、やっと暖かくなり始めた日のことでございました。
 村人総出で薄桃色に染まる桜山で花見へと行き、皆で飲み食い、踊り歌い騒いでいた時のことでございました。
 いつものように、桜の木の下で胡坐をかき、豪快に酒を飲んでいた紅葉が突然倒れてしまいました。村人達は大騒ぎし、慌てふためきました。
 とりあえず、目を覚まさない紅葉を村一番の力持ちである大男が担ぎ、村人達は心配そうな表情を浮かべながら、村へと帰っていきました。楽しい花見は、結局お開きになってしまいました。
 原因不明の病にかかってしまった紅葉は、日に日に弱っていきました。村にいる唯一の医者にもどうすることもできませんでした。
 真珠のような肌は、青くなり、豊かな黒髪は抜け落ち、強く眩しく輝いていた瞳はその光を失った。げっそりやせて、骨と皮だけになってしまいました。
 花見から、2ヶ月がたとうとしておりました。
 紅葉の命の灯火は、あと少しで完全に消えようとしておりました。
 村人達は、紅葉の周りを取り囲み、ただじっと、すっかり変わり果ててしまった紅葉を眺めておりました。
 ふと、紅葉が目を開き、ゆっくりと口をあけました。紅葉は、何かをつぶやいているようでした。
 紅葉の母親が耳をすませてみますと、紅葉がさきほどよりもやや大きな声でこういいました。

 「酒」

 村人達は、死ぬ間際になってもまだこの娘は酒の事を考えているのか、といささか呆れてしまいました。紅葉は、話を続けました。

 「私は、もう逝く。……最期に……私の願いを聞いてくれるか?」
 今にも死にそうな娘がそういっているのに「いやです」と答えるわけにはいかないでしょう。
 村人たちが、こくりとうなずいた。可能な願いなら叶えてやろう。不可能な願いなら……そのときはその時だ。
 村人たちがうなずいたのを見ると、紅葉はかすかに微笑み、話を続けました。

 「私が死んだら……私の躯を……家の前にあるカエデの木の下に埋めて欲しい。……そして、そのカエデの木が紅に染まる頃になったら……そのカエデの木の前に酒を供えて欲しい」
 かすれた、最早声とは呼べぬもので喋る紅葉は、そういい終えると、息をゆっくり吐き、目をつむりました。
 紅葉の母が「そうしよう、かならずそうしよう」と力強く言うと、紅葉は静かに微笑んで、そっと息を引き取りました。

 村人達は、紅葉の最期の願いを聞き届け、紅葉の躯を楓の木の下に埋めました。そして、毎年それが真っ赤に染まる頃に酒を供えるのでした。
 不思議なことに、供えられた酒は、あっという間になくなるのでした。そして、酒を供えたカエデの木は今まで以上に美しく鮮やかな赤色に染まるようになりました。

 その色は、どこか人がお酒をたくさん飲んだときの顔の色に似ておりました。

                             〜桜村(現桜町)に伝わっているお話〜
 
 桜町の南側に、規則正しく植えられた木に囲まれた公園がある。公園にあるのは塗料が剥げてイカのように真っ白になった、タコ型の滑り台と小さな砂場、今にも崩れてしまいそうな木製のベンチ。
 そして、そのベンチの後ろには、立派なカエデの木があった。何百年も前から、ずっとその木はそこに立ち続け、ここ桜町を見守っていた。緑色だった葉は、やや黄色くなり、ところどころ赤くなっている。

 空は、南瓜の煮物のような濃い橙色となり、その空をメレンゲのような雲がぷかぷかふわふわと泳いでいた。
 カエデの木を背にして設置されている木のベンチに、一人の女性が座っていた。

 真珠のように白い肌、この季節に道路を黄金に埋め尽くす、イチョウの葉のような色をした、長い髪。頭に二つ、髪でお団子をつくっている。
 瞳は髪より鮮やかな金色。着ているものは、山吹色の無地の着物。全身がまばゆく輝いているような印象を受ける美女である。
 そんな美女が左手に持っているのは一升瓶、右手に持っているのは酒がたっぷり入っているコップ。
 その酒をくれたのは、一人の爺さんであった。黒いベレー帽のよく似合う、人のよさそうな爺さんである。爺さんは、まだ爺さんが爺さんではなく、お兄さんだった頃から毎年この時期になると、かかさず酒をカエデの木の前に置いている。
 随分変わった爺さんだと思う。もう、誰も自分のために酒を供えてくれることはないだろうと思っていた。桜村……現桜町にかつて住んでいた一人の娘の願いなど、誰も覚えていないだろうと思っていたのに。数十年前、酒を置いていった男を見た時、女は心底驚いた。それから毎年かかさず酒を供えてくれる男。女は、そんな男に感謝する反面、呆れていた。

 「ふふ、美味い酒だ。あの爺はよく分かっているな」
 女は、コップに入った酒を一口飲んで微笑んだ。公園には誰もいない。誰かが来たとしても、女の姿は誰にも見えない。誰にも見えないようにしている。仮に見たとしても、すぐに忘れるだろう。
 女は、少しずつ闇にのまれていく空を見ながら、昔の事を思い出していた。

 楽しい花見の日、女は村人たちと喋りながら酒を飲んでいた。その花見の途中、急に女は具合が悪くなり、倒れてしまった。
 気がつくと、女は一面真っ白の不思議な世界のど真ん中に立っていた。目の前には、村の者ではない今にも死にそうな爺さんが立っていた。

 「すまんな。急にこんなところに呼び出したりして。わしは、お前さんの住んでいる家の前にあるカエデの木に宿っているカエデの精じゃ。お前、わしの代わりにあのカエデの木に宿ってくれんかね。わしはもう疲れた」

 爺さんにいきなりそんなことを言われた女は驚いた。
 驚きつつも、女は爺さんの話を聞いてやった。爺さんは、ずっと木に宿ってぼうっとしているのに疲れたらしい。さっさと木からはなれて成仏したいのだという。しかし、自分が木から離れれば、木は生気を失いやがて死んでしまう。自分が楽になりたいがために、今まで共に生きてきた相棒ともいえるカエデの木を殺すのはしのびない。
 爺さんは散々考えた。考えた末に、爺さんは一つの答えを出した。
 誰かを自分の代わりにカエデの木の精にしてしまおう、と。

 「はあ。それで、あんたは私を選んだのか。……でも、なんで」

 「あんたが村で一番綺麗だったからじゃ」
 その爺さんの一言で、女は爺さんの代わりに木の精になることを決めてしまったのだった。

 爺さんはたいそう喜んだ。爺さんは話を続ける。
 
 「もしお前さんが死んだら、その躯をカエデの木の下に埋めてもらいなさい。それだけでいい。あとはどうにかするから。それじゃあ、頼んだぞ」
 爺さんはそれだけいうと、礼もいわずに消えた。そして女は気を失った。

 目を覚ますと、女は元の世界に戻っていた。見慣れた天井と、父や母、友人らが心配そうに自分の顔を覗き込むのが見えた。なんだか酷くだるい、頭がぼうっとしている。呼吸がうまくできない。顔を横にやると、自分のものとは思えない細い腕がある。

 ああ、自分は死ぬのか。何故かは分からぬが、自分の体は酷く弱っているようだ。

 ああ、ああ。

 酒が飲みたいなあ。

 「酒」
 自分の言葉に耳を傾けていた母の顔が歪むのを、女は見た。まあ、呆れるのも無理はないか。
 女は、爺さんの言葉を思い出して、自分の最期の力を振り絞って口を開いた。
 もし自分が死んだら家の前にあるカエデの木の下に埋めて欲しい、と。そのついでに、毎年酒を供えてくれと言っておいた。
 父や母、村人たちがうなずいたのを見た瞬間、急に眠たくなり、女は目をゆっくり閉じた。

 気がついたら、自分はカエデの木の中に入っていて、木の精となっていた。


 「全く。美人だといわれたからってこんな楽しくもなんともない役目を引き受けるなんて、馬鹿だよな私も」
 女はまた酒を飲む。すると、女の髪の毛が少しだけ赤くなった。瞳も、着物も同じように赤っぽくなる。

 「ま、もうちょっとカエデの木の精をやってやるか。飽きたら誰かに代わればいい。かわるものがいないなら……そのときはそのときだ」
 女が酒を飲むたび、イチョウの葉の色をした髪の毛と黄金の瞳と、山吹色の着物の色が変わっていく。
 やがて髪の毛は秋の山を彩る紅葉の色に、瞳は燃え盛る炎の色に、着物は紅になった。さきほどまで無地だった着物には、金色の紅葉が舞い散っている。
 そして、女の白い頬は真っ赤になった。
 爺さんに供えてもらった一升瓶はもう空っぽになってしまった。女はそれを残念だと思いながら、コップを木の下に置いた。空になった一升瓶は抱えたまま、自分の背にあるカエデの木へ向かう。

 「さあ、今年もお前を真っ赤に染めてやるよ。きっとまた綺麗な色になるだろう。そうすれば、あの爺さんも喜ぶだろう」
 
 女……紅葉は、ゆっくりとカエデの木の中に入り込んでいき、やがて消えていった。

 もうしばらくすれば、カエデの葉は鮮やかな赤になるだろう。そして、この木を赤に染めるだろう。

 酒を飲んで顔を真っ赤にした精霊の宿るカエデの木は、他のカエデの木より、ずっとずっと美しく鮮やかな紅葉に染まるのだ。