彼と子猫と彼女(41.見つける)




休日の朝。
珍しく早起きした彼女は、いつものニュースが始まるまで朝の散歩へと出かけた。
そして、家から数分のところで見かけた同僚。
スーツ姿の彼しか知らないため一瞬、誰だかわからなかった。
特に親しいわけではないが、挨拶しようと近寄ろうとして……


  *  *  *


(気のせい、あれは他人の空似だったんだよ。 そうだよ、きっと)

と自分に言い聞かせ、彼女は電車を待っていた。
今日もホームには大勢の通勤客がいる。
その通勤客の合間をぬって、彼女の隣に無表情な男が立った。
昨日の朝から、ずっと彼女が見間違いと思い込もうとしている同期入社の同僚だ。

「あの、おはようございます……」

少しだけ、彼のことが苦手なため、小声で挨拶をする。
すると彼は関心なさそうに瞳を向けて、沈黙したまま首だけを縦に動かした。
『蛇に睨まれた蛙』
彼女は、そんなことわざを思い出している。
当たり前だが、彼女が蛙だ。

「あ、居た!!」

同僚で友人の女性が、彼女に向かって駆け寄ってくる。
友人も、彼に向かって軽く挨拶をした。
やはり無表情な彼は黙って首を動かす。
そして彼女の耳元で尋ねた。

「ねえ、逃げたいの?」
「う……できるなら……」
「別に怖い人じゃないでしょ」
「でも、さっきも睨んできたし……」
「じゃあ、こっち来て!」

友人は彼女の腕を取り連れて行く。
驚いて足をもつれさせていた彼女は、後ろで肩を落とした彼を見ることはなかった。

「……やっぱり見られてたんだ」

ブツブツ呟く無表情な彼。
その低い声は地獄の底から響いてくるようで、周囲の人間は一歩引いてしまった。
彼の背中に冷や汗が流れていく。

「よぉ、今日も相変わらず表情無いな」
「先輩……おはようございます」

彼とは対照的に、表情豊かな先輩にあたる男。
広い彼の背中をバシバシ叩きながら、悪戯を思いついた子供のように笑う。
彼と先輩は、思えば高校時代からの付き合いだ。
そのときから彼は、この先輩にイジられてきた。
悪戯を思いついた子供のような笑顔に、彼の脳内では緊急避難警報が鳴り始めた。

「あの猫、元気か? 名前は――」
「駄目です!!」

ホームに響いた低い大声に辺りは静まり返る。
周囲からの視線を浴びて、彼は体を小さくした。
そのようなことで長身が誤魔化せるわけないのだが。

「そうだな、ここだと聞かれちゃうもんな」

二人は、ちらりと視線を先ほどの彼女に向けた。
少し離れたところで友人と笑いながら話している。
彼女の笑顔を見て、彼は顔を赤くした。
悪魔より性質の悪い笑みを浮かべた先輩は、彼に聞こえる程度の小さな声になる。

「お前の恋路は面白いな〜。 で、今回は何が嫌われてる理由になってるんだ?」
「昨日……散歩をしているところを見られました」
「猫にリード付けてか?」

彼はコクリと頷く。
先輩は笑いながら彼の背中を叩いた。

「好きな女の名前つけたから離れられなくなったなんて、どこの純情ボーイだよ。
 大体、お前はクールで通ってるんだから告白もクールに決めちまえよ!」

「……」

反論しようにも言葉が出てこない。
その沈黙を破るように、ホームに電車がやってくる。
人の流れで、彼女の姿が完全に見えなくなり、彼は電車の中で溜め息を吐いた。


  *  *  *


また日曜日が来た。
そして、またも早起きしてしまった彼女。
二度寝をすればいいのに、怖いもの見たさというか、彼女は散歩へと出る。
恐る恐る歩いていると、曲がり角の向こうで声がした。

「――さん」

低い声が、彼女の名前を呼ぶ。
優しい声に驚きながら、彼女は影から声の方を見た。
いつもは無表情の彼が、子猫にリードをつけながら散歩しているところだった。
自分と同じ名前を持つ子猫が「にゃぁ」と鳴きながら、彼の足元に擦り寄る。
彼は子猫を抱きかかえた。

「――さん。 この花、彼女に……――さんに似合うと思いませんか?」

人の家の庭先に咲く花を見ながら彼が言う。
子猫は愛らしく鳴くだけだ。
いつもなら見られない彼の笑顔に胸を高鳴らせた彼女は、もっとよく見ようと曲がり角から身を乗り出した。
彼の肩越しから、子猫とバッチリ目があう。
みゃお、みゃおと鳴く子猫の方向をみた彼は顔を赤くした。
同じように顔を赤くした彼女がいるからだ。
見つかってしまった彼女は意を決して彼に話しかける。

「あ、あの……おはようございます」
「……おはようございます」
「その子猫、わたしと同じ名前なんですね」
「!? き、聞き間違えです!!」

来週の日曜日には、一緒に散歩する人が増えるだろう。
顔の赤い二人のやりとりを、子猫は興味なさそうに欠伸をしながら聞いていた。


〜あとがき〜

何が書きたいか見失った