童話の結末は黒い闇 (50.狂気)




逃げて、逃げて、逃げて。
走って、走って、走って。
後ろは見てはいけない。
ウサギが追いかけてくる。
黒いウサギは、迷子の少女アリスを誑かし、自分の巣へと連れて行く。
捕まってはいけない。
捕まったら最後、お家に帰してはくれない。

森の中で、少女はひたすらに走っていた。
赤頭巾ちゃんのように、おばあ様の家に向かう途中なのに。
赤頭巾ちゃんのように、寄り道はしてはいけないよと言われているのに。
森の中をでたらめに走る。
太陽の落ちた空は星が昇り、木の葉の隙間から月明かりが大地を照らす。
おぼつかない足で何度も木に引っ掛かりながらも、転ばないように体勢を立て直している。
彼女に猶予はないのだ。


「ッ……ハァハァ……もう、追いかけてこないよね?」


速度は緩やかに落ちていき、そして彼女は立ち止まった。
肩で息をしながら、なんとか呼吸を整えようとする。
遠くで鳴くフクロウと、近くで鳴く鈴虫。
風でざわめく森には自然の音しか聞こえない。
彼女は近くの木に寄りかかりながら座り込んだ。
そして、祖母に渡すバスケットの中からケーキナイフを取り出しておく。
バスケットからは甘い香りがした。
決して、アルコールの薫りはしない。
それは男が近くにいない証拠だ。

少し前、街で医者をやっている男の息子が事件を起した。
整った顔に笑顔を乗せて、12人の少女を誘拐し、アルコール漬けにするという猟奇的事件。
男は海外に逃亡したという噂が流れていたが、本当はこの森にいたのだ。
出くわしてしまったこの少女は、何と運の悪いことか。
アルコール臭を漂わせた黒衣の男は少女を見るなり、笑いかけてきた。
その顔は何度も手配書の写真で見た笑顔。


「あのラビッツ医師の息子さんなのに、どうしてあんな……」


彼女自身、今追いかけてくる男の父親とは面識がある。
体の弱い祖母を見てくれているし、自分も診てもらったことも。
立派な両親の元に生まれた彼に何があったのか。
少女は想像するも、まだ人生経験のない想像力では限界があった。
俯いたまま頭を振り、現状に集中する。
風が、微かにアルコールの匂いを運んできた。
恐怖に心臓が高鳴る。
匂いは風で拡散されて、どこから来るものなのか解らない。
汗ばむ手で、ナイフを握りなおす。
アルコールの薫りは、そんな彼女のすぐ後ろからした。

アルコールの匂いを漂わせた男の手が、少女の肩を掴む。


「いやぁぁぁああああああああ!!!!」


少女は手を振り払うと同時に、ナイフを男に突き立てた。
手に伝わる感触に、目を必死で瞑り、何度も何度もナイフで刺す。
そんなに尖ってはいないケーキナイフだったが、少女は力の限り刺し続けた。
やらなければ、自分が殺されてしまうからだ。
目を閉じているため相手の様子はわからないが、だいぶ抵抗がなくなってきた。
それでも、少女はナイフを振るう。
やがて男の息が絶えたのがわかったのか、彼女は手を止めた。
相手は完全に生き物ではなくなっていた。

少女は目を開ける。

目の前には、アルコール臭の漂う父親。

彼女が何度も振るったナイフは、父親の目を潰し、腕を砕き、肺を貫き、腹を捌き、腸を引きずり出し、血溜まりを作っていた。

少女の父親は、帰りの遅い娘を心配し、酒盛りの途中であったが迎えに来てくれたのだ。

動かない父を見つめた少女は、小さく笑った。
そして目から涙を零しながら、まるで金属を擦り合わせた音のように笑い声を大きくしていく。
森中に笑い声はこだましたため、鳥達は一斉に逃げた。
鳥達の羽音に混ざるように、ゴソリと暗闇の中で何かが動く。
それは少女の様子を見ていた黒衣に身を包んだ男。
弱々しい月明かりが、一歩前に出た彼の手に持つ酒瓶を照らす。
中には12対の眼球がアルコール漬けにされていた。
少女アリス達の眼球を愛おしそうに見ていた黒いウサギは、狂った少女アリスを見て、三日月よりも唇を薄くして微笑む。

何よりも、十三人目として相応しい狂った少女アリスが生まれたからだ。





〜あとがき〜
ひゃはー……グロ有りになっちゃた