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修繕屋と氷飴
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蝉が時雨る。
アスファルトが照り返す熱は少しも衰える様子もなく、立ち上る入道雲も太陽のかくれんぼには付き合ってくれないらしい。
時折駆けていく風は冷房の効き始めのように生暖かく、けれど冷房のようにこれから地球を涼しくしてくれる保証はない。
「あーつーいーッ」
空を睨んでやけっぱちに叫んでみれば、さらに暑さが増した気がした。
「うぅぅぅ…」
「何唸ってるんだい?」
「ぎゃッ!?」
唐突にかけられた言葉に、危うく口から出そうになった心臓を飲み込んだ。心臓なんかアスファルトの上に落ちてみろ。
すぐにこんがりと焼き上がって、飲み込んでも胃に入ってしまうに決まってる。
そうなったらすぐに消化されて栄養になってしまう。でも、心臓がないのに栄養を創る必要はない。
だって息が出来くなるんだから。
「びっくりさせるなッ心臓が口から落ちたらどうしてくれるんだッ」
後ろを向いて叫んでやると、頭がくらくらした。暑さのせいでどうも体力がない。
「ぷっ…ははははッ心臓が?口から?はははッ」
唐突に響いた笑い声にびっくりして顔をあげると、そこにいたのは幾分か年上そうなお兄さんだった。
何がツボに入ったのか笑い続けるその人は、真夏だというのに真っ黒な長袖のコートをきていて、大きな木箱を背負っていた。
「良く暑くないね…」
呆れたように呟けば、漸く笑いを納めたその人はにこりと笑う。
「君は涼しそうな恰好なのに暑そうだね」
「実際暑いもん。見てるこっちが暑いから裁判所に訴えても良い?」
いくらノンスリーブのシャツを着ていようが暑いものは暑い。
お兄さんは、訴えられるのは困るな-と大して困らなさそうに苦笑して、唐突に木箱を下ろした。
「何?」
「路を聞きたいんだ。僕は修繕屋でね。うーん、平たく云うと直したり、治したりするのが仕事なんだけど」
「修繕屋?」
聞いたこともない名前に眉を顰めると、薬屋でもあるよ-その人は木箱から何かを取り出す。
「これあげるから訴えないでくれないかな、急いでるし」
「知らない人にもの貰うなって言われてる」
「ああ、そうか」
今度は本当に困ったように笑ってから、その人はぽんと手を叩いた。
「じゃあ買わない?」
「え?」
「これは雪女印の氷飴。食べてると涼しくなるよ。寝苦しい夜にも最適。食べても虫歯にならないしね」
難点は一ヶ月くらい口に入れっぱなしだと口が凍りかける所かな-差し出されたのは少し大きな飴包。
「一ヶ月?そんなにずっと食べないし。これ一粒じゃせいぜい」
「うーん。ずっと舐めてたら二週間くらいかな」
「はぁ?」
訳が解らなくて眉を顰めれば、雪女印だから-と、お兄さんはますます訳の解らない理由になってない言葉を零した。
「雪女印?」
「そう、雪女。今の時期は良く売れるよ」
ぺりとお兄さんが包みを剥ぐと、真っ白に蒼い筋が三本交差する綺麗な飴玉が出てきて、
それをひょいと口に入れると、その人はにこりと笑う。
「今ならお買い得。言い値で売ろう」
「へ!?」
思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。言い値で売る物売りなんか聞いたことがない。
「何企んでるのさ?」
訝し気に問えば、お兄さんは小さく肩を竦めた。
「路を聞きたいだけだよ。君が訴えるとか云うから、飴を売って路をきこうかなって」
「それ、お兄さんばっかり得してない?」
「うーん。でも知らない人に貰っちゃ駄目なんでしょ?」
小首を傾げるお兄さんに、もうどうでもよくなった。
「何処?」
「え?」
キョトンとするその人に呆れたように息をつく。
「路、聞きたいんでしょ?」
「西逢寺って所なんだけど」
「西逢寺?…知ってるけど、あそこ、荒れ寺だよ?」
町外れの今はもう住職もいない寂れた寺は、もう寺と呼ばれなくなって長い。
塀がぐるりとその場所を切り取って、その中に取り壊されないままの荒れた寺がある。
「あ、いいの。いいの。それで?」
「…そこの先の十字路を左に行くと坂があって、それを越えると右に橋がある、その先だよ」
「あぁ、成る程」
境だらけだ―よくわからない事を呟いて、その人の手が頭を撫でた。
「ありがとう、助かったよ」
手の中に落とされたのは飴包。はっとして顔をあげたけれど、その時にはもう誰もいなかった。
ただ飴包だけが。さっきまで此処にいたあの人の余韻を残していた。
家に帰って、手の中で汗ばんだ飴包を開くと、純白に蒼い線の入った飴が現れた。
躊躇ってから、そっと口に入れると冷たさが身を走る。キシリトールに良く似た、けれど何処か違うもの。
その夏は度々舐めていたけれど、飴は中々減らなくて。冷房も扇風機も滅多に使わずに、その夏は過ぎていった。
そして、夏の終わりに飴は全てなくなった。
あれから時々西逢寺に行ってみたけれど、一度もあの人に逢うことはなかった。
雪女印の氷飴についてもそれとなく聞いたが、知っている人は見つからない。
けれど、西逢寺についてだけはひとつ、聞けたことがある。
西逢寺は昔は再訪寺と呼ばれていて、いろいろな場所に繋がる穴があるという逸話が残されていたのだそうだ。
けれどもう、それを知る人はいないのだと。
夏が来る度に思い出す。あの黒いコートをきた不思議な人と、あの真っ白な飴の味を−−−