「準備は良いですか?」
「はいっ」

チェロ楽団長であるアビレットが声をかけると、同様の衣服を纏う少年は高揚した様子で頷いた。修道衣にも似たその衣服は、宮廷楽団の制服だ。
奏でる楽器によって制服は微妙にデザインが変わる。
少年のそれは、最も多いヴァイオリンのそれで、アビレットのものはチェロのそれだ。
肩衣が風に翻り、不意に声を運んで来る。

「アビレット楽団長」
「おや、シレス楽団長」

最年少で楽団長となったフルーティストの涼やかな声に顔をあげれば、彼は嫌そうに眉根を寄せた。

「今まで通り、シレスで構いません」
「そういう訳にも行きませんって」
「フルーティストは絶対数が少ないだけです。それに」

リグロン楽団長不在時の代行ですから−怪我で養生中の元フルーティスト楽団長の名をあげて、シレスは小さく片目を眇める。



大陸から魔族が渡ってきたのがいつなのか正確に知るものはいない。
気づいた時には、その島を囲む鎮守の森「ブロッコリーの森」は食い破られ始めていた。
魔族には、人型、獣型、無型の三種類がおり、通常の武器では倒すことの出来ない彼等を討伐する目的で結成されたのが宮廷楽団だった。
通称カルテットと呼ばれる彼等は、城直属の対魔族部隊である。
四人一組をとり、いくつもの対魔族曲「アリア」を駆使して魔族と攻防を繰り広げる。


「あ、あの」

怖ず怖ずと言葉をあげる少年に、シレスとアビレットは揃って視線を向ける。

「どうかしましたか?ユウレカ君」
「今日付けで西隊に配属になりました、ヴァイオリンのユウレカ・ビレオンといいます。握手していただいても良いでしょうかッ」

ぺこんと頭を下げて手を出した少年に瞬いて、シレスは小さく苦笑した。

「シレス・デュグレイです。はじめまして」

ぎゅっと握られた手に瞬くと、ユウレカはほっとしたように目を細める。

「不安が薄れました。ありがとうございます」



「相変わらず人気者ですね」

去って行ったユウレカを見送って、くすくすとアビレットが笑う。

「仕向けた人間が勝手なことを」
「それは君が悪いんじゃないですか」

180度一変した冷ややかな視線を気にした様子もなく、アビレットは肩を聳やかせた。

「私ならもっとうまくやりましたよ」
「ふうん。なら、やるか?」
「まさか。最多のアリアを持つ君とサシなんて真似、するわけないでしょう」
「馬鹿馬鹿しい」

吐き捨てるように呟いたシレスには、先程までの面影はない。
底冷えするような瞳と声音。

「全く。そんな態度だから、人質なんて取られるんですよ」

呆れたように息をついて、アビレットは肩を竦めた。


本来、カルテットはその名の通り四人組、四重奏を指す。
絶対数の多さからヴァイオリン2のヴィオラ、チェロの四重奏がメインとなるが、フルート或いはピアノ、歌い手が入ることもある。
シレスのカルテットは、独創的なヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの四重奏だった。
だった、と云うのは勿論解散してしまったからだ。
シレスはフルート楽団長の地位を、ヴァイオリンのリーティアは城警備のオーケストラコンマスに、ヴィオラのサバティエはヴァイオリン楽団長の一、ゴルチェのカルテットに、そしてチェロのデルドルは宮廷楽団四総帥付きになった。
表向きには栄転だが、その本意を知るものは僅かだ。
総ては、シレスを宮廷楽団に搦め捕るための布石。
当代随一のアリアを持つシレスの戦力は、対魔族には欠かせない。
また、人々の英雄崇拝の対象として楽団はシレスを選んだのだ。
若く、数少ないフルーティストであり、多くのアリアを奏でる救世主。

「自分の愚かさに吐き気がする。お前のその人を食ったような態度以上に」
「おやおや」

目をしばたかせたアビレットは、肩衣に触れて小さく苦笑した。

「あの朱い爪のお嬢さんを、滅ぼす覚悟ができたんですか?」

朱い爪は魔族の証。魔族とは則ち、自分達の生活に害をなすものだ。
けれど。
シレスは言葉を交わしてしまった。
名前を、生き様を知ってしまった。
疑問が生まれてしまった。

「全く。君はまっすぐすぎますね」

何も云えないシレスに、アビレットが大仰に溜息を零す。
カルテットの仲間と朱い爪の少女。
今は、張り詰めた糸のようにぎりぎりの所で釣り合っているが、皿にのせられてしまった以上、天秤はいずれどちらかに傾くしかない。
けれどシレスは選べずにいる。
絶対的なアリアも、今は答えに代わりはしない。

「証明しなさい」
「は?」

唐突な言葉にシレスが訝し気に顔をあげた。
酷く面倒そうにアビレットはひらひらと手を振る。

「ですから、証明なさい。朱い爪を持つあの少女が我々に害なさないと。
朱い爪と括られる魔族がどういうもので、我々が戦うべきはなんなのか」

内容次第では、協力してあげないこともありませんよ−にこりと悪人よろしく笑うアビレットに、一瞬だけ目を細めて、シレスはふんと鼻を鳴らした。

「云われるまでもない。何一つ奪わせせたりするものか。協力させてやる」



凜として立つシレスにブレはない。
その後ろ姿を満足そうに見遣って、アビレットは小さく呟いた。

「さて、どうなりますかね」

楽団のマリオネットの英雄か、それとも彼が自分で認められるだけの英雄になれるのか。
それこそ神のみぞ知る未来だが、アビレットは自分の中で少しだけ傾いている天秤に気がついている。

「楽しみですね」



これはブロッコリーの森を挟んで争う魔族と楽団の物語。
出逢ってしまった魔族の姫と楽団の英雄の物語。
そして、明日へ続いていく物語。