望みは祈りに似た言葉で
寒さにふるえ
恐怖に怯え
そんな弱さの具現を知らせる
影を纏う
あの空の色を知らないまま


             (「忘却の城の日記」挟み込まれた頁より抜粋)



愛はeyeから始まって


某国が未確認物体を飛ばしても、某国の頭が捕まっても、某国で宝が見つかっても、私はここまで驚かなかった気がする。
補足しておくが、私は世間に疎いわけでも興味がないわけでもない。
寧ろ自分の事で一杯一杯の本国民の中においては、世界情勢にも、政治にも興味を持っている方に分類されると思う。
そんな人間である私が、言葉もなく固まったのを見て、あんたのそんな反応は始めてみるねー彼は至極楽しそうに笑った。



「結婚するぞ」

先触れもなく訪れた彼の言葉を聴いた瞬間、私に生まれたのは困惑でしかなかった。

「突然来て、一体何の話だい?あの歌手の結婚話はもう随分前のことだろう」

私の頭に浮かんだのは、電撃結婚を発表した芸能人のことだった。
その方面に関心のない彼が、珍しく興味を持ったのが彼の敬愛する作家の作品の主題歌を歌った彼女だったから、私はてっきりその話だと思ったのである。

「また研究室にでも篭っていて、ニュースを聞いていなかったな」

私が呆れたように云ったのは、彼が某有名大学の准教授なんてものだからだ。
放っておけば、講義なんかそっちのけで研究室に篭りきりの彼に果たしてその仕事が向いているのかは謎だが、彼の講義は学生にはなかなか人気があるらしかった。

「歌手?何の話だ?」

キョトンとした彼の言葉に、私はぱちぱちと目を瞬かせる。

「何の話も何も。君が先に云ったんだろう」
「僕がいつ、歌手の話なんてしたんだ」

呆れたような彼の言葉にキョトンとしたのは私の方だった。

「どうやら僕らは、お互いに勘違いをしているようだね」

ひらひらと手を振って、彼は私の目の前のソファーにどっかりと腰を下ろした。

「勘違いってなんだい。だって君は」
「ああ。僕が悪かったよ。てっきりあんたには伝わると思ったんだ」

彼はかりかりと頬をかくと、僕がだよー唐突にそう云った。

「は?」
「だから。僕が結婚する、と云ったんだ」

云い聞かせるようにゆっくりと紡がれた言葉が、私の中に浸透するのに随分と時間が掛かった。

「あんたのそんな反応は始めてみるね」

何も云えずにいた私をみて、彼は至極楽しそうに笑う。その頃になって漸く、私の脳は彼の言葉の意味を理解した。

「結婚だって?君が?」

身を乗り出すように云い放てば、彼は小さく肩を竦める。

「そんなに興奮する事か?」
「するよ。だって君が、だぞ?」

私は彼とは大学の同期だったが、彼はとても恋愛に向くタイプではなかった。
顔立ちは幾分か整っていたし、勉強も出来たものだから、女子学生には随分と騒がれていた(実際、現在も女子生徒に人気があるようだ)が、彼の方は恋愛よりも研究に身を捧げていて、飲み会にも殆ど顔を出さなかった。
そもそも私が元来惚れっぽい性格であって、その事で彼と口論した事もあった。
その時の彼の台詞は今でもよく覚えている。


『恋愛なんてものは、僕には理解できないね。錯覚に近いんじゃないのかい?理屈の通らない事象は、体験するまでは決して解りはしないから、僕にとってそのあんたの惚れっぽさは生涯の謎になるんじゃないかな』


「じゃあ君は、恋や愛と云ったものをその身をもって体験したわけか」
「さあ、どうなんだろうな」

からかう様な私の言葉は、彼の苦笑に流された。

「なんだい。君はあの時そう云ったじゃないか」

少し拗ねたようにそう云うと、彼は曖昧に肩を竦めた。

「果たしてこれが、あんたの云う”恋”や”愛”と云った感情なのかは、僕も未だに解らずにいるということだよ」

私は科学者らしいその言葉に小さく目を細めたが、何も云わずに背凭れに背中を預けた。



「君は今、幸せなんだろう?」

言葉のない時間が暫く経って、私は唐突に唇を開いた。
彼は弾かれたように顔を上げて、耳たぶに触れると、これは学生の時からの彼の癖だ、困ったように視線を泳がせる。

「どう、だろう」
「君のそんな反応は初めてみるね」

私は彼が私に投げたのとそっくり同じ言葉を投げてやった。
そう、つまりはそういうことなのだろう。

「結婚式には是非呼んで欲しいものだね」

私は茶化すようにそう云って、親愛なる友人の為にお茶を入れるために立ち上がる。
私は紅茶には必ず砂糖を入れるのだが、今日は何だかストレートでも飲めるような、そんな気がした。