強いのは誰だ?
俺か
お前か
それともあいつか
死神の手と知りながら
躊躇いもなくその手を掴むあんたが
もしかしたら
誰より強いのかもしれない
(「忘却の城の日記」四章扉より抜粋)
お前とあたしとあいつと俺と
いつでもあいつは一枚も二枚も上手で余裕綽々だから、あたしは一度でいいからあいつを困らせてやりたかった。
「ばっかじゃないの」
「馬鹿と云うほうが馬鹿だと思うが?」
「何ですって。アホの子のくせにッ」
「意味が解らないな。考えがないのはお前の方だろう」
「はぁ!?えっらそうにッ何様のつもりよ」
「俺様」
「ムカツクッ」
「語彙力がなさ過ぎないか?もっと勉強したらどうだ」
「あんたに云われたくないわよ。このスケコマシッ」
「何処をどう考えたらスケコマシになるのか聞きたいもんだな。馬鹿娘」
あいつはしらっとさらっと言葉を流して、掴みどころがないままにいつの間にかいなくなる。
あたしがちょっと目を放すと、あいつはもう何処にもいない。
休み時間も放課後も。
あたしはあいつとの時間を作ろうとするのに、あいつはそんな事少しだって考えもしない。
「なんかさ。何にも執着しなさそうだよね」
あいつのいなくなった席に座っていたら、クラスメイトが苦笑してそう云った。
「皆でいるのが嫌いってわけじゃないみたいだけど」
なんだかねーあたしは続きを聞くのがいやで、音を立てて立ち上がると教室を飛び出した。
執着しないなんて嘘だ。
だってだってだって
「何だ。泣きそうだな。誰かに苛められたのか」
不意にかけられた声に、あたしはびっくりして思わず目を瞬かせた。
見間違えるはずもない顔が目の前にある。
「ど、して」
「は?それはこっちが聞きたい。突然来て、何泣きそうになってるんだよ」
第二音楽室。
軽音部が潰れて、遣わなくなってしまった教室。
何も答えないあたしに苦笑して、あいつは唐突に隅にあったピアノの蓋を開けた。
「調律されてるから、音はいいぞ」
流れ出したメロディはトルコ行進曲。
滑らかなタッチの音にあたしは思わず目を瞬かせた。
「ピアノ、弾けるのね」
「あのな。お前俺の事なんだと思ってんだよ」
呆れたような言葉に、あたしは何故か素直に言葉を返していた。
「すっごいやな奴。何でも出来て、余裕ぶってて。その癖何にも執着しないような振りして」
云ってる途中で無性に泣けてきて、あたしはどうしてかぽろぽろと泣き出した。
止めようにも止まらない。
こんなのは初めてで、あたし自身、どうしていいか解らない。
「ご、ごめ。なんか解んないけど、泣けてきて」
俯いたあたしの頭に、不意に暖かい手が振ってきて、ぐしゃぐしゃと髪を撫で回した。
「ちょ。髪」
「別に余裕なんかない」
「え?」
苦笑気味に零れ落ちた言葉に顔を上げれば、あいつが見たこともないような妙な表情をしていた。
「俺はただ、人より余裕がある振りをするのが得意なだけだ。実際余裕なんてない。焦っても顔に出ないから、勘違いされるけどな」
ぽんぽんとあたしの頭を撫でて、あいつは視線を逸らした。
「知ってるか?」
「え?」
不意に投げられた言葉に戸惑うが、あいつは返答を期待しているわけではなさそうだった。
「俺達が今こうしてぼんやりしてる間に、働いている人間がいて、死にそうになってる人間がいて、時間が足りないとがむしゃらな人間がいて、悲しみにくれている人間がいる。そんな人間がどれだけいても、俺達はこうして此処で俺達だけの時間を過ごしている。そいつらから見たら、俺もお前も変わらないくらい、余裕ぶって見えるだろうよ」
あいつの横顔は夕日に照らされ、知らない人のように映る。
あたしはそれが悔しくて、徐にあいつの腕を引っ張った。
「っおいッ」
バランスを崩して床にしゃがみこんだあいつの頬を、あたしは何も言わずに張り倒した。
「てっ」
「馬鹿ッ本当、馬鹿じゃないのッ」
あたしはぎゅっとあいつの頬をはたいた手を握り締めた。
あたしの力なんて、全然強いものじゃないけど、でも、あいつは壁に背中を預けたまま立ち上がろうとはしなかった。
「あんたは、あんたの好きなように感情を出していいに決まってるでしょ。あんたの人生なのよッ」
あたし自身何を云いたいのかよく解らなかった。
でも、頭ががんがんして、胸が苦しくて、何だか他人事のように、ああ、あたしは怒ってるんじゃなくて、哀しいんだなって思った。
「あんたがあんたの人生で何しようが、そんなの誰にも関係ないわ。あんたが決めるのッ」
それで怒るような人間がいたら、あたしがぶっとばしてあげるわよー悔しかったのは、あいつの瞳に映らないあたしじゃなくて、あいつが誰にも執着しないと誰かに思われていること。
こんなに寂しい魂のあり方を、誰にも見せずに生きていこうとしていること。
あたしは握り締めた拳を開いてびっとあいつに指を突きつける。
「あんたが幸せで、怒る人間なんている訳ないでしょッ大馬鹿ッあんたは、あんたでしかないんだから、もっと自分のこと大事にしてよッでなきゃ、あんたのこと好きなあたしが馬鹿みたいじゃないッ」
「ぷっ。ふはははは」
「笑うんじゃないわよ」
唐突に笑い出したあいつに、あたしは反射的に反論してはっとする。
今、あたしは、とんでもないことをいったんじゃ
「ムードも何もありはしない告白だけど。お前らしいな」
「こ、告白なんかじゃ」
「『あんたのこと好きなあたしが馬鹿みた』」
「わーッ」
耳を塞ぐあたしを見て、あいつは至極楽しそうに笑いながら立ち上がる。
「いいこと聞かせてもらったな」
「忘れてッ今すぐ忘れて頂戴ッ」
「やーだね」
へらっと笑ったあいつはいつものように余裕綽々で、あたしは何だか悔しくなったけれど、心のどこかでほっとしていた。
やっぱりあいつはこうでないと。でも。
「それにしても、馬鹿娘にあそこまで馬鹿馬鹿云われるとな」
「誰が、馬鹿ですって?あんたが馬鹿なんでしょうが」
「俺の何処が」
「だから云ったでしょ。存在そのものよ」
「その存在そのものが馬鹿だとのたまう俺のことが好きな時点で、お前は相当馬鹿だと思うが?」
「だから、そんな事云ってないって」
「生憎俺は、お前みたいに記憶力悪くないので。たった2分40秒前にいった言葉を忘れない」
「な、なんですってッ」
ふるふると拳を振り上げたあたしに、あいつは小さく肩を竦めて耳元で囁いた。
「『あんたがあんたの人生で何しようが』守ってくれるんだろ?」
きぃぃい。前言撤回。いつかあいつをぎゃふんと云わせてやるんだから。
怒っていたあたしは、だからあいつが不思議な微笑みを浮かべてあたしをみているなんて少しも知らなかった。
「敵わない、お前には」
結局その言葉は、あいつの思惑通り、あたしに届く前に空気に溶けて、夕焼けの世界に消えていった。