俺の世界が変わった日(05.苦笑)
「直哉さ、不機嫌オーラ振り撒くのやめてよ」
運転席からの声を無視すれば、まったく−呆れた様な溜息が聞こえた。
「俺だって怒ってるの解ってるでしょ」
「お前は顔に出ないから良いだろ」
助手席で、ふんと頬杖をついて窓の外を見やれば、不意に車が止まる。
赤信号に引っ掛かったらしい。子供連れの夫婦が横断歩道を仲が良さそうに渡って行った。
真っ赤な風船が子供の頭上でふわふわと揺れる。
「風船なんか欲しいもんかよ」
「そういうお前は昔貰わなかったんだ?」
ふうんと何処か珍しげな問いかけに視線を戻した。
「何?お前貰ったクチ?」
「俺風船好きだし」
掴んでないと飛んでくとことかね−アクセルを踏み込んだ車は、交差点を突っ切って閑静な住宅街を抜けていく。
「は?」
「だって俺に絶対的主導権があるでしょ」
「意味不明」
高校の寮で同室になって以来の付き合いだが、発想にはつくづく個人差があることを思い知らされる相手だ。
にも関わらず同じ職についているのだから人生は解らないものである。
長く伸びた髪を払って、彼、水神八尋は滑らかにハンドルを切った。
この角を曲がれば、目的地はもう目の前だ。
三階建てのビルの二階。道路に面した窓にはでかでかとロゴが見える。
『北王子相談事務所 萬相談承ります』
「宮さんも来てるみたいだね」
ビル横の駐車場には、レクサスとワーゲンがそれぞれ一台ずつ肩を並べている。
云わずと知れた雇い主と先輩社員の車である。
傷をつけたらとんでもないのだが、八尋は気にした様子もなくあっさりとその横に車を止めた。
「さて、社長には何て云おうかな」
「知るかよ。口はお前の方が達者だろ」
「そう?俺はお前に任そうと思ったのにな」
「はぁ?何でもかんでも押し付けるんじゃねぇよ」
ぽんぽんと云い合いながら階段を上って、不意に八尋が足を止める。
「しっ」
「は?」
「お客かな」
磨り硝子の入った扉が僅かに開いていてそこから声が零れていた。
「今度はまともだといいけど」
「同感」
「あー。お帰り、二人とも」
肩を竦めてドアを開けると、一番に気づいた先輩社員が苦笑して迎えてくれる。
「あっら、ちょうど良いじゃない。お客様よ、お客様」
何処か低い女言葉に視線を向ければ、相変わらず存在感抜群の社長が満面の笑みを浮かべていた。
ゴスロリ趣味の服装に、刺青。明らかに男とわかる顔立ちだが、線がシャープなせいか見られないものではない。
最初は違和感が拭えなかったが、面倒見も良く、仕事も出来る社長に変わりはないので、今は大して気にしてもいない。
「社長。午前の仕事はドタキャンになりましたから、迷惑料加算してもらってください」
「あら?そうなの、尋ちゃん?」
「仕事の内容に偽りありだったので、断ってきました」
解ったわ−ひらひらと手を振って、社長は八尋から車の鍵を受け取ると、くるりと後ろを向いた。
「新しい仕事はね。この子の父親を探すことなのよ」
ずいと社長の後ろから押し出されたのは、小さな人影。
「餓鬼じゃん」
思わず言葉が零れていた。社長の肘位までしかない身長に、赤いランドセル。漆黒の髪は高い位置でツインテールになっている。
「ふうん。いくつ?」
「小学校五年生ですって」
八尋の問いに答えたのは社長。その餓鬼は、驚いたような視線を向けたまま動かない。
「は?何?」
「見つけたッパパッ」
「なっ、はぁ!?」
ぴょんと飛びつかれて、危うくバランスを崩しそうになった。
けれどそれよりもっと問題がある。「パパ」だぁ?
「直ちゃん、子持ちだったの?」
「うわ、サイテー」
「隠し子かー。やるねぇ」
「ちっがーうッ」
べりとばかりに引き剥がして、見覚えのない子供を睨んだ。
「俺はお前のパパじゃねぇッ勘違いすんな」
「勘違いじゃない」
ムッとした子供がずいっと差し出した物を思わず受け取る。
「カメオが何だよ」
「中」
「は?」
「貸して」
「あ、おい」
ひょいと横から掠めて、八尋が躊躇いなく中をぱちんと開いた。カメオではなく、ロケットだったらしい。
「あ。直哉」
「直哉君だね」
「直ちゃんね」
「はぁ?」
眉を顰めると、見てみなよ−ひょいと八尋がロケットを目の前に突き出した。
入っているのは、写真。それも、直哉に非常に良く似た、いやそっくりな顔をした青年。
「…まじかよ」
「覚えてないの?」
社長の呆れたような言葉に、先輩社員の声が被る。
「ええとー名前はなんだっけ?」
「リンッ。杉本凛」
「すぎ、もと?」
それは母方の苗字で、直哉が高校、専門と遊び歩いていたときに使っていた偽名。
「直哉、諦めたら?」
ぽんと肩を叩いた八尋も、一緒に遊び歩いていた仲間だというのに。
「てっめ」
「まあ、父親も見つかったことだし。あとは直ちゃんに任せましょうか」
「はぁ!?ちょっと待った、社長」
「心配しなくても。今日は休みにしてあげるから。積もる話もあるでしょ?」
そんなのないー紡ごうとした途端、ぎゅっと社長に足を踏まれた。
「なっ」
「あの子、母親がなくなって天涯孤独なんですって」
「え?」
「行くあてがないのよ」
ぼそりと紡がれた言葉に眉を顰めると、社長が小さく苦笑する。
「施設に預けるにしても、少し一緒に暮らしてからでも遅くないでしょ」
あたしも協力するし−ちらりと子供を見れば、キョトンとした瞳がこちらを見ていた。
「何もなーい」
「いいだろ、別に」
驚いたような言葉にムッとしてずかずかと部屋に入る。3LDKのマンションは事務所から程近い。
事務所ビルもこのマンションも、何故か社長の所有物だそうで、お陰で随分と安い値段で暮らしていける。
たかたかとついて来る足音に一気に疲れが増して、どかっとソファーに座り込んだ。
「ちょっと来い。話がある」
「何?パパ」
小さく息をついて、ちょこんとフローリングに座った娘モドキに視線を合わせた。
「まずひとつ。パパって呼ぶな」
「じゃあ何て呼んだら良い?」
「直哉」
「なおや?何なおや?」
「羽野直哉」
はのなおや、羽野直哉−口の中で何度も呟く様子を見て、小さく肩を竦める。
「解った。直哉。ふたつめは?」
「俺の迷惑になるようなら、即刻叩き出すからな」
「はーい。みっつめは?」
問われて、すぐには思いつかずに視線をあげた。
「お前は?」
「凛」
「はいはい」
にっと笑った凛の頭を、小さく苦笑してぐりぐりと撫でてやる。
唐突に始まった共同生活は、一体どうなることやら・・・