百物語
「どうしてこういうことになる」
「まあまあ。融さんが折角企画してくれたんだから」
時は夕刻。長い石段を登った先にある趣のある神社。狭間神社と呼ばれるそこで、本来なら人が立ち入ることのない社の中に、今は五人の人影がある。呆れたように呟いたのは魔性かと見紛うばかりの美貌の少年。彼は神主の息子にあたり、名を狭間輔と云った。彼を宥めるように笑う少年は彼の弟にあたり、晧と云う。
「まぁ良いだろ、輔」
向かいに座り楽しそうに笑う書生風身なりの少年は、途端に左右から叩かれた。
「融。立場を弁えたらどうなんだい」
「本当。いつも散々輔君に迷惑かけておいて」
「…叩くことないだろ、兄貴も智兄も」
ムゥと膨れた少年は両隣を軽く睨む。三人は三様の恰好をしていたが、それでも兄弟なのだと見極められた。鷹彪兄弟と云えば帝都では有名だ。そもそも鷹彪が華族として名の知れた名家なのである。長男の亘は頭脳明晰、次男の智は類い稀なる商才が世間では評判だ。そんな彼らを狭間家と繋ぐのが、三男の融だった。
「悪かったね、押しかけてしまったみたいで」
「貴方が悪いわけではない」
亘の言葉をすっぱりと切りてて、輔はすとんと床に座る。苦笑した晧が肩を竦めて部屋の四方の蝋燭に火を燈した。
「夏と云えば、百物語だろッ」
唐突に言い出したのは融で、神主である輔の父親があっさりと許したものだから、今に至る。
それぞれの手元の蝋燭に、四方から灯したのを見計らい、融が社の扉を鎖した。
一筋の夕日の残像が山に沈む。
「へぇ」
ほんのり燈る明かりの届かぬ先から、ぞろりと闇が取り巻いた。
「あ、兄貴からね。解りやすく年上からで」
溜息を零したのは誰か。風に揺らぐ蝋燭は黒々とした影を産む。
「はい、はい。じゃあ行くよ」
微笑の気配。紡がれる言葉。
−学校の先生に聞いたんだけどね。もう誰も住まなくなった村に発掘調査に行ったときにね。不意に降り出した雨に、村にあった寺院に逃げ込んだんだそうだよ。屋根は雨漏りが酷く、障子もボロボロだったんだけどでね。火を焚いて、雨を凌いでいた時だ。気配が、したんだそうだ。
「気配?」
融の言葉に、亘はこくりと頷く。
「村人は誰もいないはずなのに、何十人もの視線が、破れ障子の向こうからじっと…」
張り詰めた静寂。息をすることすら躊躇われたソレを壊したのは淡々とした輔の言葉だった。
「"目目連"か」
「え?」
「もくも…?」
「妖怪」
しらっと言い放って輔は小さく片目を眇めた。
「荒れ果てた空家や古寺の破れ障子に浮き出る多数の目の妖怪で、床の面、畳、ふすま、壁などの部屋中にも現れる。目目連のいる空家で夜を過ごすと、恐ろしい目にあうといわれている。最初は一つだけ出ていた目が次々と増えていく。
尤も、物の怪の一種とも云われ、障子を大切に扱う家には危害は加えないが、破れ障子などを使っていると夜中に現れ」
「たんま、たんま。輔、続きは今度だ。次は智兄な」
輔の言葉を遮って融は蝋燭を掲げる。輔は肩を竦めたが、譲るように智に一瞥を加えた。
−じゃあ俺の話ね。俺の友達に聞いたんだけど。ある男が隣町に行こうと山に登ったんだって。暫く行くと何やら声がした。不思議に思って男が木の向こうをみると、長い髪がみえた。男は何かと思ってこっそりと側まで行ったんだっってさ。側まで行くと、不意に女が何処から取り出したのか…鎌をな、木に向かって
振りかぶった。するとな。ざっくりと樹に埋まった釜の切り込みから真っ赤な液体が流れ出して、斧を染めたんだ
「ッ」
びくりと晧が肩を震わせる。
「男は驚いたのなんの。気づけば木の側には血まみれの黒犬が倒れていたんだ。それも、人間の顔をした犬がね。女は朱く染まった犬を掴んでいなくなった。男はもう怖くて。転がるように山を降りて、麓の宿やに転がり込んだ。がたがたと震える男に女将が暖かい汁を出してくれて。男はかきこむようにそれを食べた。それには、食べたことのない美味い肉が入っていたらしい。食べ終えて落ち着いた男は、女将聞いた。あれは何の肉ですか?と。女は云った。犬です、と。髪留めが滑り落ちて、長い髪の女が振り返る…」
蝋燭が揺れる。風が戸を叩く。
「あんたが見た人の顔をした犬だッ」
「ッ」
不意に智が出した声に、晧が慌てて輔の袖を握った。ふっと智が蝋燭を消す。
「終わり」
「おそらく"彭侯"だろう」
「あれ?また妖怪?」
楽しそうに智が尋ねれば、輔は小さく頷く。
「正確には木の精か。千年を経た大木に宿る。大陸の妖怪故確証はないが」
食べたという噺も伝わっている−輔の言葉に晧がぱっと顔をあげた。
「本当に食べられるの?」
「犬と変わらない味だったそうだが。食べたことがないから何とも言えない」
「た、食べなくて良いからッ」
焦ったような晧に微笑して、輔はぽんと頭を撫でる。
「合う確率がそもそも低い。千年を越えた大木など帝都にそうない」
「あ、確かに」
「こら輔ッ脱線させるなよ」
眉を顰めた融に一瞥をくれて、輔は小さく目を細めた。
「次はお前か」
「おぉ。絶対お前を怖がらせてやるッ」
「へぇ。融の目的はそれかぁ」
融の言葉に智は成る程-と頷く。唐突に百物語などと云い出すから、何か裏があるとは誰もが思いそうな事だ。
「な、何でも良いだろ。次、俺の話な」
追い立てるように云って融は廻りを牽制する。亘が微かに苦笑して、それでも社に沈黙が降った。
−夜、俺が一人で町を歩いてた時の事だ。電灯が普及しだしたと云っても闇は消えるものじゃないし、まだないところも多い。俺は提灯を提げて家へ急いでいた。すると
「大方前に明かりが見えたんだろう?揺らめくそれに近寄ったお前が見たのは光る首か、それとも油を求める火玉か」
「なッ」
呆れたように紡がれた言葉に、融はぱくぱくと口を開閉したが云うベき言葉を見つけられず、恨めしげに輔を睨む。
「前者ならば一種の"舞首"か。後者ならば"油坊"、"姥火"、"油赤子"と云った類だが、"ふらり火"の方が知られるか」
「あーもう。お前を怖がせようと思ったのが間違いだった」
ふて腐れたようにそっぽを向く融に、輔が小さく目を細めた。
「融」
「…なんだよ」
「お前は解っていて始めたのか?」
「はあ?」
唐突な言葉に融は眉を顰め、亘や智すら訝し気に輔を見遣る。
「百物語は生来降霊術だ。死者の思い出を語り合い、呼ぶ。それが本来のあり様だった」
「た、輔兄?」
怖ず怖ずと晧が廻りを見廻した。蝋燭の明かりの先で蠢めく闇。其の向こうで
「先刻から、聲が五月蝿いな」
片目を眇めた輔の声。次の瞬間、風もないのに全ての蝋燭が消えた。四方の蝋燭も掻き消えて、視界は闇に放り出される。
「ああ。そこにいたのか」
雲が切れたのか月明かりが障子越しに射した。輔が示す方向を四人はつられたように振り返る。障子に写るのは髪を振り乱した黒い…
「いぃれぇてぇえー」
「ギャアァ!!」
耳を劈くような悲鳴が神社に谺した。
「ていうか失礼よねッ」
「だから、悪かったって…」
不機嫌そうな娘に、融はぱんっと手を合わせる。融を慕う娘にしてみれば勘違いとはいえあの悲鳴は堪ったものではない。弁解しようにも他の四人は任せたとばかりに帰ってしまったのだから、融は謝るしか道がない。
「悪かった、白亜」
「いやッ」
「どーすりゃ良いんだよ…」
投げやりに云えば、不意に娘が振り向いた。
「これから毎日、散歩付き合ってくれたら許してあげる」
にっこりと笑う娘に融は悟る。本当に怖いのは、怪談などではなく…
融はげんなりと溜息をついた。
〜END〜